画像出典:須磨ハートクリニック様HP
心臓外科医の須磨久善(すま ひさよし)さんをご存知ですか?
ゴッドハンド(神の手を持つ)と呼ばれ、世界で名医の認定をする機関にも登録されている日本が誇るスーパードクターです。
これまで手掛けた心臓外科手術では5000人もの命を救った権威です。
須磨久善先生は『医龍』のモデルの人物?
医龍という漫画をご存知の方であれば、すくにピンと来たかもしれません。が、実は須磨久善先生がモデルとなっています。
医局や大学病院の中の政治的な背景などは二の次で、なにより目の前の患者を助けることに全ての力を込めて戦う医師の話なのですが、この医龍の監修も須磨久善先生はされています。
他にも、有名なドラマ「チームバチスタ」の製作にも関わられています。
須磨久善先生の経歴・プロフィールは?
生年月日:1950年3月1日(65歳)
出身地:兵庫県
学歴:大阪医科大学
職業:心臓血管外科医
須磨久善さんの実家は、代々医師の家系と言うわけではありません。
神戸で生まれ、一般的な家庭に育ちました。
関西では、良家のお子さまたちが好む甲南中学、甲南高校に通われてますから、この時代では割合中流以上のお家柄だったんだろうと想像できます。
須磨久善先生が医師を目指そうと思ったのは、あるテレビ番組がきっかけでした。
もともと、競争社会に向いた性格ではなく、実直な性格を自覚していた若い頃の須磨さんは、バリバリ会社のために働いて、周囲を蹴落として上を目指すなんてことは自分には出来ないと考えていたようです。
しかし、医師であれば人との競争ではなく、自分の力を高めて患者さんの病気をなおし、そして感謝もしてもらえる。
これなら、自分には向いている。
そう考えた須磨さんは、高校三年生の夏休みを終えてから、猛勉強をして大阪大学に合格します。
普通、数ヶ月猛勉強をしたからといって阪大には合格しません。元々の学力や素養が高かったのは言うまでもありませんね。
須磨先生は、大学時代に心臓外科の道に進むことを決意します。
が、卒業して進んだ病院は、阪大病院ではなく東京の虎ノ門病院でした。
そこを選んだ理由は、心臓外科しか知らない医師になるよりも、総合的な医療を学んだ方がいざというときに役に立つと考えたからです。
虎ノ門病院では、腹部外科の経験を積み沢山のことを学びました。
虎の門病院は、当時から海外と同レベルでの臨床研修・手術を実施しており須磨先生が望む医療に最も近い事を実践している数少ない国内の病院でした。
しかし、当時の虎の門病院には心臓外科だけがなかったのです。
須磨先生は虎ノ門病院に就職してからの4年間、病理や麻酔など一般外科や消化器系の臓器の手術も多数経験されました。
結果的に、この時期に須磨先生は人体について総合的な理解を深められました。
この経験は後々、とても重要な意味を持つことになります。
4年間の心臓以外の医療経験が世界初のバイパス手術に繋がる
須磨久善先生は、医師としての研究と努力は若い頃から現在まで、手を緩めることはされない方です。
この当時も、アメリカのユタ州で世界初の人工心臓埋め込み手術が、成功したとなると現地で直にその技術を学ぶためにユタ大学に留学されました。
世界初の胃の大網動脈を用いた心臓のバイパス手術を成功させたのも、こうした地道な学ぶ姿勢や努力が不可欠だったことは言うまでもありませんね。
世界初の胃の大網動脈心臓バイパス手術成功で世界の注目を浴びる!
心臓の冠動脈が弱ると、それを補うためにバイパス手術が行われてきたのは、なにも初めての事ではありません。
しかし、それまで代用されていた血管というのは、脚の静脈が主でした。
しかし、同じ血管でも、動脈と静脈では役割が違います。
心臓からポンプのように押し出される血を受け止めるには、静脈では長くは持たないのです。
もし、動脈を身体のどこかから流用することが出来たら、そうした問題は大幅に改善できます。
しかし、適した動脈を流用することはおろか、それをまだ誰も気づいてすらいなかったのです。
須磨久善先生は、胃の大網動脈ならバイパス手術に適しているのではないかと、仮説を立てました。
それから、それぞれの専門の医師たちに協力してもらい、その仮説が論理的に成り立つのかを徹底的に調べました。
そして、理論上で可能という結論に達した後に、病院内で議論をして許可を貰い、世界初の手術を実行したのです。
結果は、成功しました。
この手術は、世界中から注目と称賛を集めました。
しかし、なぜ須磨久善先生は胃の大網動脈ならバイパス手術に適しているのでは?ということに気づいたのでしょうか?
また、何故それまで世界の多くの心臓外科医は、その仮説に気付かなかったのでしょうか?
その理由を、須磨先生自身はこう述べられています。
横隔膜を境にして、上の肺や心臓は胸部外科、下の胃腸、肝臓などは腹部外科というふうに領域が分かれているんです。だから当時の医師は、胸部外科が腹部外科の領域にまで踏み込んで、胃の血管をもってきて心臓につなぐなんてことはあまり考えられなかったと思うんです。
でも僕の場合は、幅広い知識・経験をもった心臓外科医になるために、いろんな科で勉強していたので、そういう発想ができたんでしょうね。そもそも「患者さんをよりよくするため」に医者をやってるわけですから、科の違いなんて全く関係ないんですよね。
引用元:http://www.jinzai-bank.net/edit/info.cfm/tm/105/
こんな須磨久善先生の元には、世界中からオファーが来ます。
これまで多くの手術を海外・国内でこなされてきました。
日本でバチスタ術を初めて成功させたのも須磨久善先生です。
須磨久善先生の偉業は、まだまだ書ききれないボリュームです。
今日はここまでにして、続きはまた今度書こうと思います♪