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ファクトリエ山田敏夫の経歴とは?熊本の通販サイトから世界に挑む!

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 11月14日(土)22:30 テレビ東京系で放送予定のクロスロード

今回のゲストはファッション業界に新しいビジネスモデルを取り入れ挑戦し続ける33歳の若手企業家、山田敏夫氏

 

彼のビジネスの裏側にある想い、理念、目指しているモノなどを、彼の経歴を交えながらお伝えしたいと思います。

 

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出典:http://entermeus.com/6829/

 

 山田敏夫社長の軌跡

経歴:1982(昭和57)年 熊本生まれ

実家は、100年続く老舗婦人服店を経営

店の上が家という環境のため、子供の頃から親の仕事を通じてファッションを身近に感じていたようです。

 

山田社長には、お兄さんがいらっしゃいますが教師を目指されていたため、将来お店を継ぐのは自分だろうなと感じていた為、将来の経営のために東京の大学で商学部に進学をされます。

 

1年目は簿記を学び、2年目になるとフランス語を熱心に勉強されました。
ファッションのことをもっと学ぶためにフランスに行きたい!
そう思った山田社長は、フランス留学を決意します。

 

フランス到着の初日、彼にひとつのアクシデントが起こります。
なんと、スリに会い現金を全て失くしてしまうのです。

 

 あまりのショックで、すぐに日本に帰ろうかと言うくらい落ち込んだ山田社長ですが、そういうわけにもいかず、大学で働く職員の知り合いのおばあさんの家にしばらくお世話になることになったそうです。

 

しかし、悪い事ばかりではありません。
その事が原因で、とにかくお金を稼ぎたいと思った山田社長はファッション関係の仕事を探します。

 

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山田氏がフランス留学中に選んだ仕事場は高級ブティック

 

理由は、日本人観光客が買い物に来た時に、通訳として重宝されるのではないかと考えたからです。

 

手当たり次第に履歴書と手紙を送りますが、返事が来たのがグッチ1社だけでした。

こうしてパリのグッチで仕事をするという経験を得たのです。

 

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http://www.web62.com/engl/travels/paris-08.html

フランス留学で、GUCCI Paris店に勤務

 

ところが、山田氏がGUCCI本店で働き始めても日本人観光客の接客どころか
お客様の顔すら目にすることがない倉庫の在庫整理の仕事に回されます。

1月間、もぐらの様に地下の倉庫に籠って仕事をしていましたが、
なんとか店内の免税手続き係に昇格し、最後は販売員としての経験も出来た様です。

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このフランス留学時代に働いたGUCCI(パリ店)での経験、ここで出会った友人との繋がりが、後々山田氏の人生の岐路において影響することになるのですが、それはまだ先の話です。

 

山田氏は、このGUCCIで仕事をしながらある事に気付きます。

それは、高級ブティックが醸しだしている特有の高飛車なオーラです。

 

日本では、ものを販売する側は買って下さるお客様に対して目線を低くするものです。

買って下さるお客様が上で、我々は下というわけでもないんでしょうけど、それに近い意識がありますよね。

 

ところが、GUCCIの店員は、お客様に対してある意味傲慢な態度にも見える態度で販売をしていたのです。

 

とりわけ、身嗜みのなっていない旅行客に対しては露骨に態度に出していました。

 

しかし、それには根拠がありました。
自分達の販売する商品の価値やモノ作りに対しての絶対的な自信、プライドがあった為です。

 

頭をさげて媚びて買ってもらう必要は無い。

価値があるものだから。

価値がわかる人にだけ買ってもらえれば、それで良い。

 

そう言わんばかりの態度に最初は戸惑う山田氏でした。
しかし彼らの考えの本質を知ったときには別の気持ちも生まれていたそうです。

 

「日本では、モノ作りや販売をすることに、そのようなプライドはない・・・。
日本でグッチのような誇れるブランドを作ってみたい。」

 

日本では、世界に誇れるブランドは生まれない。

その理由は、モノ作りをする生産者の立場が極めて弱く

メーカーの下請けという立ち位置が固められており、そこからさらに上には、発展・成長しにくい産業構造になっているから。

 

これでは、世界に誇るMade in Japanは生まれてこない。

それを変える方法を見つけなければ、いつまでも世界に誇るブランドは日本には生まれない。

 

山田氏のこころの中で『Made in Japan』の文字を意識し始めたのがこの時でした。

 

ある日、仕事場でグッチの同僚とアツくなって会話をしていた時、つい感情的になり「日本でグッチのような世界に誇れるブランドを作って見せる」と口にします。

 

しかし、その言葉の裏には、日本のファッション産業の実状に対する歯がゆさや、日本には誇れるブランドの存在が無いこと。そして、自分がいつかそれらを変えたい、そんな気概が入り混じって口にした言葉なのでしょう。

 

そんな想いに気付かせてくれたフランス留学もやがて終了となり
山田氏は日本に帰国します。

 

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 山田氏 日本での就職

そして大学を卒業すると、就職した先はソフトバンクの系列会社。

理由は、ファッション業界で夢を実現するためにも、アパレル業界以外で先に学ぶ事があるという考えからでした。

 

ソフトバンクでは、最年少でマネージャーに昇格、やがて営業部長となります。

この頃から、やはりファッション業界に戻りたい、いやIT業界で培った経験を活かしてあたらしいことに挑戦したい。

 

そんな衝動に駆られた山田氏は、株式会社ファッションウォーカーに応募をします。

 

一旦は不採用となるのですが、粘り強く交渉した結果、同社の倉庫(江東区)でのアルバイトなら採用しても良いという返事を貰うのです。(またしても倉庫からの出発です)

 

持ち前の頑張りで、アルバイトからスタートした山田さんはやがて事業開発室という社長直属の部署にステップアップしていきます。
しかし2011(平成23)年に、あのアパレル大手ワールドがfashionwalker.comを買収することが決まります。

 

ちょうどその頃、GUCCI時代の同僚からSNSを通じてこんな言葉が届きます。

「あれから9年経つけど、お前がいっていた自分のブランドは出来たのか?」

 

この言葉に山田さんの中で、あの想いが蘇ります。

世界に誇る「Made in Japan」を作る

 

為すべきことを知っていながら、それをしない事は悪

 

そのアツい想いが、ついに山田さんを動かします。

 

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山田敏夫氏29歳での独立

山田氏は、ただファッション業界でビジネスをしたいという動機だけで独立したわけではありません。

 

その根底には、日本が世界に通用する「Made in Japan」のブランドをつくるという大きな夢があるのです。

 

海外の一流ブランドのなかには、そのはじまりが工房や工場のものがあります。

 

サルヴァトーレ・フェラガモ イタリア出身の靴職人

ルイ・ヴィトン フランスのトランク職人

ティエリー・エルメス フランスの馬具工房職人

 

山田氏は、日本の生産現場である町工場や工房から、こうした世界に誇るブランドが生まれてこない理由は、ファッション業界の構造に原因があると考えていました。

 

世界に誇る技術やアイデアも、下請けという立場であるがゆえに発展していかないのです。

 そこに着目した山田氏のアイデアはこういうことです。

 

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出典:http://factelier.com/products/detail.php?product_id=535

生産現場は、高い技術を持っていても、流通過程でそれぞれに利益を上乗せして、消費者の手元に届くまでに原価が上乗せされてしまう。

生産者と消費者をマッチングさせることが出来れば、より安く良い品を提供しても、生産者の利益は多くできる。

 

こういうビジネスは、いまでは別に新しいものでもなんでもありません。

既に、多くの販売サイトが行っているモデルです。

では、山田氏の取り組みは、他のファッション系ネット販売と何が違うのか?

 

Made in Japanを誇れるものに! 100年後に世界に誇れるブランドを目指して!それがFactlier(ファクトリエ)

山田氏が目指しているのは、生産者と消費者の間にいる中間業者のコストという部分をカットして安く良い物を提供するというだけのものではありません。

山田氏がパリのGUCCI時代に感じた想い「Made in Jpanで世界に誇れるブランドを!」
それが山田氏とファクトリエが目指すものです。
その為には生産者に力を持って貰わなければなりません。

 

そこに気付いた山田氏がされている取り組みは、一般的なネット流通のファッション販売会社とはまったく違います。

 

生産工場、技術者、職人さんたちにもっと利益を出せるようにすることで、生産者の力が向上できる。

 

それ無しで、本物のMade in Japanのブランドの実現は不可能。
それを実現出来る形を模索して生まれたのがファクトリエです。

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出典:http://bizpow.bizocean.jp/edge/factelier/?km_saf_try_cnt=1

ファクトリエとは、Factory + Atelier =Factelier

ブランドを作るには100年の計

世界に誇るブランドとしての立ち位置を確立するには、斬新なアイデアや技術、デザインをもってしても一朝一夕で出来るものではありません。

確かなクオリティも当然ですが、ブランドとしての格を身につけるには、長い歴史を積み上げてブランドとしての信用を育んでいかなければなりません。

 

山田氏は、ブランドを支えるのは生産者であり技術者だという理念を持っておりファクトリエという名前にもその気持ちが表現されています。

ファクトリー(工場)とアトリエ(工房)を組み合わせて名付けたファクトリエ

モノづくりの本質を捉えた山田氏ならではの発想です。

そして、製品には、どの生産工場でつくられたのかを示すため、「Factelier by KAWASHIMA」などのように生産場所が名称として表現されています。

 

これは、モノづくりにおいて作り手を大事にしている何よりの証明です。

 

日本のモノ作りについて

日本はかつて、モノ作りで世界の頂点に立ちました。

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http://ameblo.jp/factelier/theme-10061686352.html

しかし、今や中国の勃興は著しく、先進国だけでなく世界中にMade in Chinaが席巻しています。


かつてはEUやアメリカのモールでは家電製品のブランドでSONYやパナソニックというジャパニーズプロダクトが一流としてもてはやされていました。
しかしながら、世界の視線はいまや中国です。
高価で便利な機能の充実した日本製よりも、安価でそこそこ使える中国製にシフトしていったのです。

 

今後、ますます人口(特に生産労働人口)が減少していく日本において、生産者は見据えるべき未来について真剣に考えなくてはならない時期に来ています。

 

今でも世界的に高い技術力を持つ日本

しかし、このままではその高い技術力、そしてプライドさえ失われてしまう

それを守るために為すべき事は何なのか?

 

山田氏の答え

 

それが「ファクトリエ」だったのです。

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