団塊スタイル/「自分再発見!輝く女性たち」
NHK 11月13日(金)20:00
この番組で取り上げられた高橋幸枝さんと言う方をご存じですか?
この方は、神奈川県秦野市にある秦野(はたの)病院の理事をされていて
現在98歳の現役のお医者様です。
昭和41年の開業から、いまでは秦和会という医療法人社団として複数の病院を運営する組織にまで発展させた方なのですが、バリバリのキャリア思考の女医さんかと思いきや、まったくちがいました。
高橋幸枝先生の経歴
生年月日:1916(大正5)年11月2日 新潟県生まれ
新潟県立高田高等女学校卒業後に東京で海軍省に勤務
タイピストとしての業務に携わった後に退職
その後、中国北京で日本人牧師のもとで秘書として働く
医学部受験を志すために日本に帰国
福島県立女子医学専門学校に入学
卒業後、新潟県立高田中央病院に勤務
1953(昭和28)年東京都町田の桜美林学園内に診療所を開設
そして、この後に50歳にして秦野病院を設立
昭和41年 2月 1日「秦野病院」開設許可 (院長 髙橋幸枝)
平成 6年 5月 1日精神科デイケアを開始
平成10年 7月 7日精神科訪問看護を開始
平成10年11月 1日精神科作業療法を開始
平成12年11月 1日新病棟が完成平成13年 9月 1日精神科大規模デイケアに変更
平成14年 4月 1日院長に笠原友幸が就任(髙橋幸枝は引き続き理事長)
平成21年 6月 1日もの忘れ外来を開始
平成21年7月22日リワークプログラムを開始
平成24年6月1日プレ・ワークプログラムを開始平成27年1月1日「就労移行支援事業所りんく」開所
「デイサービスくつろぎ」開所平成27年1月16日秦野病院ケアセンターがオープン
ライフスキルプログラムを開始
昭和41年から現在に至るまで35年以上、院長・理事長・そしてひとりの医師として活動されてきた高橋幸枝先生ですが、精神科を設立するきっかけは意外なものでした。
このことは、先生の著書『小さなことの積み重ね』の中に書かれています。
私を医師にした青島での出会い、神様に導かれるようにして開けていったおもいもかけない人生。
あなたはこれをしなさい。
神様が与えてくれたのが医者という仕事でした。
それは中国の北京でのこと。
私は27歳でした。
引用元:高橋幸枝著書「小さなことの積み重ね」より
日本で病院を建てた高橋先生ですが、医師としての仕事と病院経営は別物です。
経営の知識も経験も無かった高橋先生は、設立当初とても苦労されました。
当時は、支出ばかりがかさみ、入ってくるお金も少なかったのです。
そのため、職員の給与を稼ぐために
ご自身は、他の診療所での仕事をして、足りないお金を補われたそうです。
「のんびりしてるからいいよ」
という言葉を聞いて始めた精神科も、
実際に始めてみると、決してのんびりなんていう事は無く
随分苦しい想いをされたとのことです。
しかし、この苦労の多い時期に多くの人とめぐり合い
少しづつ、じんわりとですが精神科の病院経営が整っていきました。
多くの人の反対をふりきって始めた精神科病院でしたが、このころから高橋先生の中に使命感が強くなっていきます。
高橋先生は、これまでの病院経営を振り返りこういった言葉で表現されています。
「新しい物を作ったからとそれは実るものではありません。育てることこそなかなか難しく、大切なものであることを実感します。」
秦野病院の高橋先生の実践する認知症予防の秘訣
高橋先生がされている認知症予防と健康寿命を長くする秘訣
認知症予防について調べると、大抵食事や栄養素についてとか
運動による刺激とか筋力の維持
脳のトレーニングというような専門性の高い情報が沢山でてきます。
しかし、それらも高橋先生が言葉に表現すると
もっと分かりやすくて、内容もとても自然で素直に耳に入ってくるものです。
「からだの中から聞こえる声に耳をすまして」
それは具体的に言うと
『肉がたべたい』
『熱いお風呂に入りたい』
『今日は頑張って休まずに階段を上ろう』
そういったからだの中から聞こえてくる言葉を、自然に取り入れて生活をすることを心がけているのです。
そして、体験したことを思い出し、深く深く脳に刻むことをこころがけているのです。
80歳から絵画をはじめ
92歳で大腿骨を骨折したにもかかわらず、寝たきりにならなかったのは
どうしても家に帰りたいという執念がそうさせたと仰っています。
高橋先生が、日々の生活をどれほど楽しまれているのかが伺えます。
食事についても、必ずこれは摂取するという風には決めてないそうです。
食べたいと思った時は、からだがそれを必要としているサインだから、その声にしたがう。
ただ、気をつけているのは、食べ過ぎないことだけだそうです。
おいしいと感じるものを食べて、おいしいと感じる食事を続けることが、長生きの秘訣だとも仰っています。
難しい言葉や知識を並べることなく、
ほんとうに自然体で、からだの欲する声に耳を傾ける生活。
これこそが、認知症予防の秘訣だとわたしは感じました。
子供の脳の発達 脳内で起こる脳細胞の不思議
別の角度から、人の脳についての面白いお話があります。
うちには3人の子供がいます。
子育てをしていく中で得た「子供の脳の発達の仕組み」について少しお話をさせてください。
子供が(特に幼少の時期に良く見る光景で)なにかひとつの事に夢中になっているときってありますよね。
「もう止めなさい。片づけしなさい」は、どこの家庭でもあります。
うちでも以前は当たり前のように叱っていました。
しかし、或る記事を読んで、子供の脳の発達のことを知ってから、叱ることを止めました。
それはどういうことかと言いますと、
子供の脳がせっかく発達している機会を失っているということが分かったからです。
脳の仕組みとしてニューロンとシナプスというものがあります。
ニューロンは神経細胞、シナプスはそれを繋ぐ回路のようなものです。
人は、楽しいと感じている時、ドーパミンが分泌されている状態です。
具体的に例をあげると
何かに夢中になっているとき
褒められたとき
何かが上手く出来た達成感を味わっているとき
などです。
このような時、脳の中ではドーパミンが大量に分泌されて、ニューロン同士がシナプスにより繋げ合わせられ、脳は急速に発達していきます。
特に発達が著しい子供の脳の中では、その影響がとても大きいです。
せっかく子供の脳内がそういう状態にある時に、
親目線で「もう止めて、片付けなさい」という一言を発することで
子供の脳の発達機会が一旦止まってしまうのです。
では、好きなことを好きなことをさせるだけの放任主義はいいのか?
決してそういうわけではありません。好きなことだけをやれば良いなどと教えてしまうと今度は社会性の発育に支障がでます。
有効な方法のひとつとして、片付けや、我慢という経験をさせた際に、それを褒めるという方法があります。
こうすることで、社会性と脳の発育の両方を損なわずに育むことが出来るのです。
このことから分かることが、ひとつあります。
本来、脳にとっては抑圧することや我慢することは機能を低下させる原因でしか無いという事です。
それを社会性や理性という考え方を用いることで、単なる苦ではなく意味のあることだと教えているだけなのです。
脳が快楽を味わう事は、本来とても重要なことなのです。
幸せを感じる毎日をおくることが認知症の一番の予防では?
この動画を見て下さい。
ご存じの方も多いかと思います。
世界で400万回再生された動画です。
静かな郊外の家の庭で新聞をよむ息子と、傍らにはしずかに庭を眺める父。
年老いた認知症の父が息子にたずねます。
「あれは何だ?」
「スズメだよ」
しばらくすると、父は息子にこう言います。
「あれは何だ?」
「今言ったじゃないか、スズメだよ」
「・・・あれはなんだ?」
「何度も言ってるじゃないか!『す・ず・め』だって!何度言わせるんだ!」
そうすると、父は静かに家に入り一冊の日記を息子に手渡します」
・・・つづきは動画をご覧ください。
私達が忘れてしまいがちな事を思い出させてくれるかもしれません。
高橋先生がおっしゃる「からだの声を聞いて、からだが欲しがることをする生活習慣」を続けていくこと。
しかし、高齢になるとそれを感じられる生活をすること自体がとても難しくなります。
元気であったころは社会に関わり、人の為になにかをして、感謝もされて、人との関わりの中で自分の価値を確認することが出来ることもあります。
しかし高齢になり、自分が一方的に人の世話になるということは、実は高齢者のお世話をしている周囲の方と同じ位に辛いことなのではないだろうか?と考えることがあります。
人は、物心ついたころから社会の中で自分の存在できる場所を探しながら生きていきます。
それは家庭の中や、会社の中、社会全体の中で、感じとれるものです。
しかし、高齢になり、家の中で自分だけが家族の役に立ててない、世話をかけるばかりと感じるようになってしまうと、自尊心も少しづつ失っていってしまうのではないのだろうか。そんなことを想像する時があります。
認知症の原因は、まだまだ解明されていません。
しかし、ふと年老いた母を見て、無邪気な子供のように見える時があります。
まるで末っ子の息子が「ねぇおとうさん、おかあさん、見ててよ!」「きょうこんなことが出来たよ!」「さびしいからお仕事行かないで!」と訴えかけるような、実はそんな気持ちになってはいないか?
お年寄りも実は
もっと話を聞いてほしい
まだまだ役に立てるんだ もっとあてにしてくれないか
たとえ身体が思うように動かなくても、目をそむけるような目でみないでくれ
わたしもまだ社会の中で存在する意味があるんだ
わすれないでくれ
そう思っているのでは無いでしょうか。
今、3人の子供を育ててきて分かった事があります。
それは、子供と言う存在があるから親が支えられているということ。
子供にとって、親は頼るべき存在だったかもしれませんが、
親にとって、子供という存在そのものが生きがいなのかもしれません。
その子供に粗末にされるということが、どれほど辛いことか
それは子供を3人育ててきてはじめて私自身が気付いたことでした。
人が最後まで自尊心を持ち続ける事が出来る社会を
人はいくつになっても、自分の存在する意味を見出しながら生きる事がとても大事なことだと理解しはじめました。
高齢者になると、動きも遅くなります。
判断力も鈍くなります。
車の運転や自転車で走る高齢者を見ると、おもわず腹が立つことがあるのも事実です。
しかし、ひとりの人間として自分が高齢者になったときのことを想像したとき
周囲から邪魔だ、役に立たないなどと思われたら、きっと深く傷つくことでしょう。
そうならない為に、高齢者に対して存在する意義を見いだせる場所というものが必要なのではないかと感じはじめました。
子供のころ、学校で褒められて自信をつけた経験があるように、高齢者が自信を取り戻す場所が必要なんだと思います。
そういう場所があれば、もしかすると認知症になりにくい社会に変化するのかもしれません。
小さな事の積み重ね
人それぞれ、形は違うかもしれません
でも、ほんの小さな思いやりが積み重なることで
なにかが変わっていくのかもしれません。