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新妻聖子(ニイヅマセイコ)のwiki風プロフと経歴は?タイの生活からレ・ミゼラブルの舞台へ!

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透き通る歌声、バラードもジャズもミュージカルも歌いこなす、その圧倒的な声量が観るものを魅了してやまない舞台女優新妻聖子(ニイヅマセイコ)さん。

 

歌に憧れて芸能界に入るも、一度は音楽への道を閉ざされます。

しかし大学時代にテレビレポーターという道を手にします。

 

大学時代のある授業中に起こったほんの小さな出来事

その出来事と偶然が、彼女を再び歌の道へ導きます。

 

彼女を歌の道に進ませた不思議な偶然は、もしかすると初めから彼女が持ってうまれた運命だったのかもしれません。

 

彼女は今。多くのものを手にしました。

しかし、彼女は今、自身の過去の過ちと向き合いながら歌い続けます。

想いを・・・魂を震わせるように表現するその姿は、多くのひとに感動に与えています。

 

今日は、青春時代をタイで過ごし、日本で現在歌手や女優として活躍されている彼女のこれまでの経歴や活動。そして彼女が背負い続ける過去とこれまでの軌跡について紹介したいと思います。

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新妻聖子のwiki風プロフィールと経歴

生年月日:1980(昭和55)年10月8日生まれ(※2016年現在 36歳)

出生地:愛知県中島郡祖父江町(現稲沢市)出身

身長:156 cm

体重:42kg

血液型:AB型

学歴:

バンコク(タイ)インターナショナルスクールハイスクール卒業

上智大学法学部国際関係法学科卒業

職業 女優・歌手

家族 新妻由佳子(姉)

事務所 プロダクション尾木

 

聖子という名前は、新妻さんの祖父が由来でした。

祖父は俳句をされており、その時の俳号(はいごう)が聖一郎という名前でした。

その一字の聖という字をとり、聖子と名付けられたそうです。

 

幼い頃から歌が大好きな女の子でした。

5歳になる頃には、テレビに映るアイドルの真似をして歌う可愛い子供だったそうです。

10歳になる頃、父の仕事の転勤で家族全員タイに移り住むこととなります。

 

当時、英語もわからない聖子さん。

タイのインターナショナルスクールでは、現地の子どもに差別されて悩んだ時期もあったそうです。

 

聖子さんは、家族でカラオケに行っては当時大好きだったテレサ・テンさんや、小林明子さんの名曲「恋に落ちて」を唄っては自分を励ましていたそうです。

 

彼女が真剣に歌手への道を意識したのは、ある映画がきっかけでした。

1997(平成9)年に日本でも公開された映画「タイタニック」

 

ジェームス・キャメロン監督、レオナルド・ディカプリオとケイト・ウィンスレットがタイタニック号の船の上でローズをジャックが後ろから抱きしめる有名なシーン。

 

まだ子供だった新妻聖子さんは、そこで流れたセリーヌ・ディオンの「My Heart Will Go On」を聞いた時、わけもなく涙が溢れて止まらないほど感動したと言います。

 

彼女の心の中で、「じぶんは歌手になる」と決意したのはこの時でした。

 

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新妻聖子さん、タイから帰国して上智大学へ

1998(平成10)年6月に、聖子さん一家はタイから日本へ帰国します。

当時17歳の聖子さんは大学受験を控えたこの時期、帰国生入試の受験勉強に励みました。

東京都世田谷区祖師谷大蔵の河合塾女子寮に入寮。3カ月間、帰国生入試の受験勉強に励まれたそうです。

 

無事に第一志望の上智大学法学部国際関係法学科に入学。

歌手になるという夢を持っていましたが、もし仕事をして生きていくならば人の役に立つ仕事をしたいという気持ちが強かった聖子さんは弁護士という道も選択肢の中にいれていたのでした。

 

彼女は当時、勿論歌の世界に挑戦していました。

しかし、オーディションはほとんどが17歳までという制限がありました。

 

すでに大学生だった新妻聖子さんにとって、歌の世界は遠いものだったのです。

ある時、音楽出版会社の社長の目に留まり機会を得たことがありました。

しかし、音楽業界の不況でレコードの発売には至らず、歌手デビューの話は無くなってしまったのです。

 

就職活動では、アナウンサーの試験も受けていた新妻聖子さん。

最終面接まで進みました。

 

もう歌手にはなれない・・・

落ち込む聖子さんに、事務所からレポーターの仕事の話がありました。

アナウンサーの最終面接とレポーターの仕事、どちらかを選ばなければいけない。

 

一度は迷った聖子さんですが、上智大学に在学中の2002(平成14)年に、TBS系の番組「王様のブランチ」にレポーターとして活動を開始します。

 

子どもの頃から歌手を夢見て飛び込んだ芸能界。

その活動の出発点は歌手ではなくレポーターだったのでした。

 

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女優としての始まりはミュージカル!偶然が重なり開けた道とは

1年半のレポーターとしての活動を経た頃、ある知らせが聖子さんのもとに届きます。

それは、ミュージカル「レ・ミゼラブル」のオーディションの話でした。

 

新妻聖子さんが在籍していた上智大学。

そのある英語の授業で、自分自身をアピールするプレゼンがありました。

新妻さんは自分の事を紹介する際に「I love singing」と答えたそうです。

 

周囲から、何か歌ってみてとせがまれた新妻さん。

仕方なくほんの数秒歌って見せます。

 

この数秒の新妻さんの唄声が、数年後に新妻さんを再び歌の世界に導く事になろうとは、当時誰にも予想出来ないことでした。

 

数年経ったとき、新妻さんと同じ大学生だったある女性が東宝に勤めていました。

オーディションを担当する人から帝国劇場で行うミュージカル「レ・ミゼラブル」の良い役が見つからない。どこかに居ないものかと思案していました。

 

それを知った方は、記憶の中に歌の上手い女の子が居た事を思い出します。

英語の授業でほんの数秒口ずさんだ歌。

確かにあの子の歌は、声も綺麗で上手かった。

いま、どうしているんだろう・・・

 

 そして、近況を調べてみると、テレビのレポーターとして活動していることが判明。

オーディションに呼んでみる価値はある。

 

そして、受けたオーディション。

レ・ミゼラブルを見たことがなかった新妻さん。

歌の訓練も特別な経験はありません。

ただ歌うことが好き。

それだけで歌手を目指していたのです。

 

多くのオーディションの応募がありました。

その数は5000人。

 

声楽の経験もない、ずぶの素人だった新妻さんにとっては不可能に近い数字です。

 

審査員の前に立つ新妻さん。

その時、新妻さんの心の中では緊張というものはありませんでした。

 

やっと人前で歌を唄える。

その喜びが沸いてきます。

 

 歌っている最中、新妻さんの中で理由もなく手ごたえを感じたそうです。

歌い終えた時、審査員たちはこういいます。

「ちょっとまって。もう少し聴かせて。」

 

新妻さんの歌声は、この時すでに審査員たちを魅了していたのでした。

 

そのミュージカル「レ・ミゼラブル」でエポニーヌ役に抜擢されたことがきっかけとなり、新妻さんは舞台女優としての活動を開始しました。

 しばらくは、ミュージカルを軸として舞台女優のキャリアを積み上げていきます。

 

2006(平成18)年には、NHK連続ドラマ「純情きらり」の挿入歌「夢の翼」を発表。

歌手としての活動のスタートを切りました。

 

2010(平成22)年には映画デビュー。作品は「アンダンテ~稲の旋律~」

この映画では主演を務めると同時に、主題歌の作詞も担当。

新妻聖子さんのお姉さんである新妻由佳子さんが作曲することにより、姉妹で作った曲が映画の主題歌として採用されました。

 

 ほんの些細な偶然がたぐり寄せた運命。

今、新妻さんは数々の作品や曲の経験を積み、現在も多くの方をその透き通る歌声で癒し続けています。

 

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新妻聖子さんの胸の内に秘めたある想いとは

素敵なエピソードばかりの新妻さんですが、過去のステージでMCの際にこんなことを仰った事がありました。

そこには、写真や映像からは想像もできない新妻さんの素顔が感じられます。

その時の言葉をあなたに届けたいと思います。

 

 

 

これから少しだけ、私の物語をあなた方に聞いて頂きたいんです。

 

特に、毎日の暮らしの家事や育児でつかれきっているあなたに・・・

 

 

たいくつで平凡な日常からにげだして

夫や子供もすべてをすてて

夢のような暮らしをしてみたいって

そう思っていませんか

 

私が見てきたのは確かに楽園とよぶにふさわしい世界

 

自由が欲しくて色んな場所へいって

色んな恋をしてきました

 

お金で手に入るものはすべて手に入れて

女性が見てはいけないようなものも見て

私は今自由な暮らしを手にしたけれど・・・

 

まだ自分の居場所が見つからないんです

 

楽園なんていうのは

人間がつくりだしたはかない幻想です

 

真実というのは・・・

例えば

今あなたが抱いている可愛い赤ちゃん

 

そして毎日喧嘩をしながらも

生涯共に暮らしていくあなたのパートナー

 

それだけは確かな愛とよべる真実です

 

私にも生まないことにした赤ちゃんがいました

 

今になって・・・

あの子こそが

私の人生に必要なたったひとつのものだったのかもしれないと

 

そう思っても遅いんです。

 

私が楽園の代償にうしなったものは

私自身だったのかもしれません。

 

 

新妻さんは、歌手という道、そして自由という道を選びました。

そして自分を縛ってしまうことになる新しい生命を自分の手で摘んだのです。

 

そのことを選んだ自分

しかし、そのことを後悔している自分

 

自由を手にするために手放したものが、自分は本当の自分が求めているものだったのかもしれないと気付いた彼女

 

彼女の歌には、透き通る歌声のなかに力強い何かが秘められています。

その何か・・・というのは

過去の自分の過ちを振り切る想いなのかもしれません。

 

愛を手放し、愛を探す彼女の歌声は、

どこか切なく

どこか激しく

そして、そんな彼女の想いがこめられた歌は私たちを癒し、何かを伝えようとしてくれているように聴こえてくるのです。

 

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