2016年10月3日、ノーベル委員会は2016年度医学生理学賞にオートファジー研究のメカニズムの解明をした東京工業大学栄誉教授大隅良典(おおすみよしのり)さんに単独受賞でノーベル賞に選ばれることを決定しました。
今日は、いま世界中が注目しているオートファジーのメカニズムに加えて、その研究に長年携わってこられた大隅教授の経歴やプロフィールについて紹介したいと思います。
オートファジーとは?メカニズムと発見までの軌跡を解説!
人間だけでなく、動物においても1週間食物を摂取しなくても生命活動は維持されます。
通常生命活動を維持するのに必要な栄養素の摂取量は一定であるのに、飢餓状態であっても生命活動は維持できる。
身体の中でどのような化学的な現象が起こっているのかを解明することは、長年研究者にとっても課題のひとつでした。
自分たちの体の中でたんぱく質を補う何かがあるはず。
そうでなければ説明がつかないこのメカニズムを大隅教授は発見しました。
オートファジーという現象です。
オートファジーとは、核を持つすべての生物の細胞が持つ機能です。
細胞の中には、正しく機能しなくなった古いたんぱく質が発生します。それらは正しく機能しないだけでなく、異常を起こす危険があります。そうなる前に、不要なたんぱく質をとりのぞく役割が必要です。
また、飢餓状態にあるとき、自身の体の中にあるたんぱく質を分解して新しいたんぱく質を生成したりエネルギーに変える必要があります。
これらのメカニズムは、オートファジーという働きによるものであることが大隅教授の研究により解明されたのです。
人間が一日に必要なたんぱく質を摂取しない日が続いても、人間の健康状態がたちまち損なわれることはありません。
しかし、その理由は長年研究者たちの間でも解明されていませんでした。
ただ、一つ言えるのは人間の体の中で何かの働きによって補われる機能がなければ説明がつかないと言われてきました。
大隅教授は、寿命が2時間程度という極めて生命サイクルの短い酵母の研究をしている中、飢餓状態にある酵母細胞の内部に生じた液胞の動きが活発化することに着目していました。
酵母の細胞内に発生した液胞の中である種のたんぱく質が分解される様子を発見したことがきっかけとなり、このメカニズムの解明に至ったのです。
大隅教授がノーベル賞を受賞したオートファジーが注目されている理由とは?
オートファジーとは、たんぱく質が細胞内の液胞の中で分解されてアミノ酸に変化することです。このアミノ酸への分解を経て、あらたなたんぱく質を作り出し補うことが発見されました。
さらに、不要となったたんぱく質を分解することは、エネルギーを生み出すだけでなく、古いたんぱく質が異常を引き起こすリスクも軽減する役目を担っているのです。
通常、寿命がみじかい腸粘膜細胞などは3日~5日で入れ替わります。
しかし、ほぼ一生入れ替わりが無い脳細胞などは、このオートファジーが機能することで細胞内の古いたんぱく質や異常を引き起こすたんぱく質が分解されることで成り立っているのです。
大隅良典教授のオートファジーが癌やアルツハイマー、パーキンソン病の治療にどう役立つ?
栄養が供給されなくなった細胞が自己の細胞内にあるたんぱく質を分解し再利用する自食作用(オートファジー)という研究をこれまでしてきました。
もし細胞内のオートファジーという自浄作用が成されなければ、神経系の病気やガンのリスクが高まります。
いま、オートファジーの研究は、アルツハイマーやパーキンソン病、そしてガンといった病気との関連性があることが研究により分かってきました。
このオートファジーの働きが低下すると、細胞内に老化したたんぱく質が残ります。
パーキンソン病やアルツハイマーなどの神経系の病気の原因が、オートファジーの機能低下によるものと関連性があるのではないかという可能性が出てきたことで、治療研究においても重要視され始めたのです。
私たちの細胞の中にもミトコンドリアや小胞体といった小器官が存在します。
これらが傷ついたり古くなると、細胞内に膜が出現します。やがてその膜は傷ついたり古くなった小器官を包み込み始めて、やがて分解酵素を持つ小器官が合体することでアミノ酸などに変化するのです。
こうした自食作用(オートファジー)は、病原体の退治だけではありません。
受精卵は、着床するまで栄養の供給源がありません。ですが、細胞はその中でどのように生き延びているのかも解明されていませんでした。
しかしオートファジーのメカニズムが発見されたことで、栄養の供給源が無い細胞内でたんぱく質のリサイクルが起こっていることも分かったのです。
このオートファジーが生物の体の中で極めて重要な役割を担っていることが解明され始めています。
大隅良典教授のwiki風プロフィールと経歴
1945(昭和20)年2月9日生まれの71歳(2016年現在)
出身地は福岡県福岡市
終戦の半年前に四人兄弟の末っ子として生まれました。
父は九州大学の工学部教授大隅芳雄氏。
大隅教授は、福岡高校に進学。
そこでは化学クラブに所属し、部長を務めていました。
化学クラブでは薬品を混ぜて遊んでいたらしいです。
末っ子のせいか、非常にお茶目な性格で、周囲からは好かれていたそうですが、まったく勉強をするようなそぶりを見せたことは無かったらしいです。
ところが、模擬テストをすればいつも1番か2番。
その当時から、普通とは違うと思われていたそうです。
高校卒業後は、東京大学理科二類に入学。
理学部で化学を学ぶつもりでしたが、新設された教養学部の基礎科学科に興味が沸き、そこで分子生物学を学びます。
1967年に東京大学を卒業後は、東京大学大学院理学系研究科に進学します。
博士課程の間に、京都大学の大学院でも留学しており、この時に現在の奥様である萬里子さんと出会い学生結婚をします。
理学博士の学位を1974(昭和49)年に取得。
その後、アメリカのロックフェラー大学に留学し、博士研究員となります。
この頃から若造に見られない為にと髭を生やし始めたそうです。
帰国後の1977(昭和52)年、東京大学の理学部講師に昇任。
1988(昭和63)年に東京大学教養学部助教授に就任。
1993年(平成5)年、オートファジー(自食作用)を起こす遺伝子を突き止めます。
1996年に愛知県岡崎市にある自然科学研究機構基礎生物学研究所の教授に就任。
2004年、総合研究大学院大学 生命科学研究科教授を兼任。
2009年、名誉教授の称号を得る。
同年、東京工業大学にて総合研究院の特任教授に就任。
大隅教授の奥様、萬里子さんはどんな方?
大隅教授と萬里子さんとの出会いは、大隅教授がドクターになる前にいた京都の研究室でした。
大隅教授は2年年下の研究員だった萬里子さんと出会い、学生結婚をします。
その後すぐに子供が出来ます。
これにより奥様である萬里子さんは、生活のため大学院を辞めて三菱化成研究所に勤めるようになりました。
大隅教授が自宅に帰宅すると、奥様の前ではいつもふざけてばかりいる様です。
これを奥様は、「リラックスしたいのだろう」と暖かく見守って来られたそうです。
大隅良典教授がノーベル賞を受賞した今、私たちに伝えたい言葉とは?
ノーベル賞は私にとって少年時代の夢だったような気がします。
しかし、実際の研究生活においてはノーベル賞は私自身の意識の外にありました。
私はそもそも子供の頃から音楽の才能もなく、運動もからっきしでした。
私たちの時代、そういうタイプは研究者になるというような風潮があったかもしれません。
父が工学部の研究をしていたせいか、研究という世界は遠い存在に感じていなかったことも研究者として進む理由だったのかもしれません。
私自身は、自分の私的な興味に基づいて生命の基本単位である細胞がいかに動的な存在であるかを知りたいと考えてやってきました。
その中で酵母という小さい細胞に長い間、いくつかの問いを持ち続けてきました。
単細胞生物から人間のような多細胞生物に至るまで、すべての生物に極めて重要な働きをしている現象。
酵母が飢餓状態にはいると、自分の細胞のたんぱく質を分解しはじめる。
これに対する興味がわたしの研究の出発点でした。
私は子供の頃から競争というものが苦手でした。
誰が一番かを競う事にあまり意味を見出すことが出来なかったのです。
サイエンスにおいてゴールはありません。
何かが分かったと思えば、すぐ次のゴールが見えてきます。
今、日本では若い人たちが研究者になろうと思わなくなってきています。
日本の将来を考えると、これはあまり良い事とは言えません。
「なんでだろう?」と思ったとき、「それを知りたい」と単純に思えるようになって欲しい。
就職に役立つことにしか興味を持たない若者が多いかもしれません。
しかし、真に役に立つこととは、そうした目の前のためにあることでは無いのかもしれません。
10年先、いや100年先になって初めて役に立つことなのかもしれません。
当時、多くの科学者がただのごみ溜め程度にしか思っていなかった細胞内に生まれる液胞。
私の研究はそこからスタートしました。
たんぱく質の分解という誰も興味を示さなかった時代に、その研究を始められたことはとてもよかったと思います。
生命の謎は奥深い。
生命や病気の研究に役立つオートファジーの分野において、ノーベル賞を単独受賞したことはとても意味が深いです。
人がよってたかってやることよりも、人がやらないことを研究した。
理由はそれがとても楽しかったから。
誰もやっていないことをすることで、自分の研究で新しい発見があること。
はじめてみる世界が、自分の手の中でひろがること。
科学者にとって最も大きな喜びだとわたしは思います。
そして、この喜びこそが研究者を支えることに繋がると常々思っています。
流行を追いかけるのではなく、自分の疑問に対する答えをどう見つけるか?
もしかするとサイエンスの本質とは、そういうことなのかもしれません。
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