2015年11月6日(金)のアナザースカイで紹介された「世界が注目する日本人デザイナー」佐藤オオキ氏。実は清川あさみさんと既に離婚していました。
佐藤オオキ氏と清川あさみさんの出会いと二人が離婚に至るまでの道のり
清川あさみさんと結婚していた佐藤オオキ氏。元々は早稲田大学で建築学を学ばれた経歴をお持ちの方ですが、多彩な才能を発揮し今では海外からの評価もうなぎ昇り。
Newsweek誌に『世界が尊敬する日本人100人』にも選ばれ海外にも事務所を持つ注目のデザイナーです。
かたや清川あさみさんと言えば、兵庫県淡路島から高校を卒業して上京したその日にモデルとしてスカウト。「Zipper」「CUTiE」「A-GIRL」などのファッション系雑誌で活躍し、読モの草分け的存在で活躍された方です。
2006年に二人は結婚します。
佐藤オオキ氏は、既成概念に一切影響されず独自の視点でデザインを生み出す感性の持ち主です。そんな佐藤氏の感性を唯一揺さぶったのが、清川あさみさんでした。
清川あさみさんは、当時写真に刺繍を施すという新しい手法で数多くの作品を世に発信されていました。
そんな彼女をみて佐藤オオキ氏は、「はじめて感性だけでモノを作るクリエイターを目のあたりにして衝撃を受けた」と言われています。
アートという世界で、通じ合った二人が近づいていくのは必然だったのかもしれませんね。
しかし、二人は2012年に離婚をされました。
その理由は分かりません。同じアートの世界での価値観の相違が生まれたのか。
それとも世界的に活躍の場が広がった佐藤氏と清川あさみさんとの距離が広がってしまったのか。
それとも、他の理由があったのかもしれません。
しかし、こんなエピソードがあります。
まだ結ばれていた時期に、二人はスピリチュアルヒーラーの伊藤嶺花さんに視てもらった事がありました。
その伊藤さんによると、二人はもともとひとつの魂から別れて生まれ変わったツインソウルだというのです。
つまり、二人は現在は別々の人格を持つ男女として出会って結婚をしたけども、もともとは1つの魂。だから霊的な波動・エネルギーは全く同じということでした。
そんな二人ですから、結婚という形、離婚という形にかかわらず
魂の「根っこ」の部分では切っても切れない繋がりを今でも持っているのではないでしょうか。
離婚をされたあと、佐藤氏の活躍はどんどん幅広くなっていきます。
佐藤オオキ氏離婚後の活躍の記録
受賞
2012年
nendoシンガポールオフィス設立
早稲田大学非常勤講師
Wallpaper*誌「Designer of the Year」受賞(英)
ELLE DECO International Design Award「Designer of the Year」受賞(伊)
2013年
Toronto Interior Design Show 「Guest of Honor」
Stockholm Furniture & Light Fair 「Guest of Honor」
Wallpaper* デザインアワード審査員(英)
ELLE DECO International Design Award「Best in Bath and Materials」受賞(伊)
2014年
Prix Emile Hermes審査員(仏)
2015年
Maison & Objet 「Designer of the Year」受賞(仏)
German Design Award 受賞(独)
ELLE DECO International Design Award 「Best in Bedding」受賞(伊)
日経ビジネスオンライン CHANGE MAKER OF THE YEAR 2015選出
書籍
2012年
単行本「ネンドノカンド 脱力デザイン論」 (小学館)
2013年
作品集「nendo 10/10」出版 (Gestalten・独)
作品集「nendo ghost shadows」出版 (ADP)
単行本「ウラからのぞけばオモテが見える(川上典李子 共著)」 (日経BP)
2014年
作品集「in the box」出版 (ADP)
図録「Hidden – Unveiling Japanese Design」 (ADP)
2015年
単行本「問題解決ラボ―「あったらいいな」をかたちにする「ひらめき」の技術」出版 (ダイヤモンド社)
引用:http://www.nendo.jp/jp/biography/
箸のデザインが斬新すぎる!佐藤オオキ氏の手が加わると、普通の箸もこうなる!?
海外での活躍ばかりを申しあげましたが、もちろん日本でも沢山の功績を作られています。
その一部を紹介しましょう。
佐藤オオキ氏とnendoが生み出したスタバのマグや箸などの作品
rasen hanataba 他
まつかん
出典:http://kenz0.s201.xrea.com/weblog/2013/12/good_design_hashi.html
スターバックス
マグカップ ※カップの底にラテ風のデザイン
白黒の地球儀
渡辺教具製作所
地中消しゴム
地中美術館
出典:http://www.nendo.jp/jp/works/chu-keshi/
AQUO
LOTTE
この他にも
equbo エクボ
燕振興工業カトラリー
西武渋谷店
セレクトショップ「EDITION BLUE」
大塚家具とのコラボ
セラミックス製カップヌードル・コレクション
カップヌードルミュージアム
Peel カップ
ショコラテクスチャ
世界的デザイナー佐藤オオキ氏 誕生のきっかけ
いまや世界的なデザイナーとして活躍されている佐藤オオキ氏ですが、
彼がそこに至るまでに、きっかけとなる出来事がいくつかあります。
その1つ目が、早稲田大学の卒業旅行で訪れるミラノ・サローネでした。
ミラノ・サローネと言えば、イタリアで行われる家具の見本市。
そこを訪れた佐藤氏は、衝撃を受けます。
それは、日本には無い自由なデザインの表現をする姿でした。
日本では、ひとつのゴールに行きつくまでに形というものに拘るケースが多いです。
しかし、海外ではそういう固定概念に縛られず、建築家が家具をデザインして作品にするなど、畑違いの分野の人も自由な発想で作品を発表しているのです。
そんな自由な表現をしている姿を目の当たりにした佐藤氏は、深い感銘を受けてこう感じます。
「デザインって本当はもっと自由で楽しいものなんだ」
佐藤氏のベースにある「既成のものに拘らない自由な発想」の原点は、このミラノ・サローネがきっかけとなったと思われます。
世界的デザイナー佐藤オオキ氏 誕生までの軌跡
そして、イタリアへの卒業旅行から帰国した後、佐藤氏はその感動を胸に抱きながらデザイン事務所を立ち上げます。
佐藤オオキ氏のデザイン事務所といえばオフィスnendo。
いよいよデザイナーとして世に出た佐藤氏。
そのスタートは、このnendo東京オフィス設立ですが、当時はまだ無名のデザイナーです。
しかし、イタリア ミラノ・サローネでデザインの自由な発想に気付いた佐藤氏は1年後に家具の展示会で特別賞を受賞します。
デザインを自由に、彼独自の豊かな感性と視点でつくりあげた作品で特別賞を受賞した佐藤氏。
当時の彼の胸の中では、これからますます新しいデザインを世の中に発信していくというやる気に満ちていたことは容易に想像出来ます。
すべてが順風満帆に進んでいくかのように思えるのですが、実はこの後に佐藤氏は苦悩の時期を迎えます。
大学を卒業して、展示会で特別賞を受賞したにもかかわらず、当時のnendo東京オフィスには、仕事がまったく入ってこなかったのです。
今では、国内外の有名ブランドや一流企業がクライアントに名を連ねているオフィスnendoと佐藤氏ですが、世界的なデザイナーとして飛躍するきっかけをもたらしてくれるある人物との出会いまでには、まだしばらくの時が必要だったのです。
佐藤氏は、その当時の苦しい時期のことを振り返ってこのように語られています。
「当時は、自分が社会に必要とされていないな・・・と感じた。」
苦しい1年を経て、佐藤氏は大学の卒業旅行でデザイナーとしての原点となるきっかけをもたらしてくれた、あのミラノ・サローネに自分のデザイナーとしての想いをこめた一つの作品を出品します。
それは雪の結晶をモチーフにデザインしたパーテーションでした。
その彼の作品に、ひとりのデザイナーの目がとまります。
それが、世界的デザイナージュリオ・カッペリーニ氏でした。
佐藤氏の作品をみてカッペリーニ氏は「いいアイデアだ」とつぶやきます。
佐藤氏は、その一言にありったけの想いをかけて行動に移しました。
帰りのフライトをキャンセルしてカッペリーニ氏を訪れ、仕事をさせてほしいと頼み込むのです。
カッペリーニ氏は佐藤氏に「1週間のうちに新しい椅子のデザインを提案してみてくれないか」と依頼をします。
佐藤氏は、徹夜でアイデアを纏めて翌日カッペリーニ氏に見せるのですが、
「他にもっといいアイデアはないのか?」
結果は冷たい対応をするカッペリーニ氏を見ることしか出来ませんでした。
それから佐藤氏は、「一月間で考えたアイデアを、毎月ミラノのカッペリーニ氏に見せ続ける」という決意を行動に移します。
6カ月で70近くのアイデアを見せた佐藤氏ですが、その中の一つがカッペリーニ氏についに認められ一つの椅子のデザインの試作が決定しました。
そのカッペリーニ氏が試作を認めたたった一つの椅子が、佐藤氏のその後の人生を大きく変えることになります。
ブランド:Cappellini(カッペリーニ)
デザイナー:Oki Sato(佐藤オオキ)
作品名:Ribbon(リボン)
発表年:2007年
新体操のリボンからイメージを膨らませてデザインした椅子です。
半円状に切り抜いたスチール製の脚でデザインされた斬新なフォルムの椅子です。
この作品Ribbonが、
red dot design award (独) / 2008
iF products design award (独) / 2008
に輝きます。
この世界的に有名な賞に輝いたことで、佐藤氏の活躍の場は一気に広がります。
この年、作品集「nendo」をRibbonで賞を受賞したドイツにて出版。
後に佐藤氏は2010年には、iF products design award(独)の審査員にも抜擢される立場になります。
その後は、海外の複数の個展への出品、本の出版、海外オフィスの増設、TV出演とマルチに活躍をされて、いまは押しも押されるぬ世界的デザイナーとなられました。
大学の卒業旅行でデザイナーとして生きる決意をするきっかけとなったミラノ・サローネでデザインの世界は自由だということに気付いたこと。
苦悩の時期にそのミラノ・サローネで、たったひとつの作品がカッペリーニ氏の目にとまったこと。
その後、カッペリーニ氏に半年間も否定されつづけても諦めずに提案をしにミラノに通い続ける情熱と行動力を佐藤氏が捨てなかったこと。
たったひとつの試作品ribbonがついに世界の一流のデザインだと認められたこと。
佐藤氏の想いと行動がなければ、世界的デザイナー佐藤オオキ氏という名前を僕たちは今日知ることは出来なかったかもしれません。
佐藤オオキ氏とオフィスnendo 彼らのクリエイター活動をささえる秘密とは?
いまや、数百ものクライアントを持ち、数百点もの提案を実現させてきた佐藤オオキ氏とオフィスnendo。
その彼らの驚異的な力の秘訣が知りたくて、海外のサイトも色々と見て回っているうちにひとつの記事を見つけました。
(以下記事 引用元:www.dezeen.com)
海外での佐藤オオキ氏のインタビュー記事
Sato, 37, said that his design process has been speed up by the studio's three 3D printers, which enable him to create quick prototypes overnight and send ideas to locations around the world.
"I could not have done so many projects in one year without my 3D printers," Sato said. "I think it is really changing the way designers work."
佐藤氏のデザインのプロセスが早くなったのは、彼のスタジオにて3Dプリンターを使用するようになったからだ。そして、それにより試作品を言わば一夜にして作りだして、それらのアイデアを世界のどこにでも送信することが可能になったことが理由である。
佐藤氏:「私は、かりに3Dプリンターもし無かったとしたら、これほど沢山のプロジェクトを1年間でこなすことは不可能だと思います。」さらにこう続きます。
「いま、デザイナーとしての仕事のあり方がまさに変革している時期なんだと思っています」
Dan Howarth: Do you ever worry that by doing so much that the ideas might get diluted along the way?
Oki Sato: That is something that a lot of people worry about but at the moment, the more ideas I think of, the more ideas I come up with. It is like breathing or eating or something.
ダン氏:「あなたは、これだけたくさんのアイデアを出し続けてこられていますが、それを続ける事でアイデアそのものが薄まってしまうようなことを心配されたことはありませんか?」
佐藤オオキ氏:「それこそ、多くの人達が心配する部分だと思いますが、私の考え方は違います。多くのアイデアを必要とするからこそ、より多くのアイデアが湧いてくるのです。そして、それは私にとって空気を吸ったり食事をすることのようなものと同じことなのです。」
Dan Howarth: Ross Lovegrove told me that design schools don't put enough focus on digital design and production. Do you think this is a problem?
Oki Sato: Yes, I think that within a few years it will be. How you use 3D printing is like how you can sketch. It's almost the same I guess.
We have an internship system inside of Japan now and we pay students. They will come to our studio for two weeks. I give them real projects but we teach them how to make renderings and how to use the 3D printers and it's very important to train them I guess because in Japanese schools they don't really teach them how to use 3D printers.
ダン氏:「Ross Lovegroveが私に話していたことですが、デザインスクールの現在の実状ではデジタルデザインに関して十分な視点をもって教育していないとのことです。あなたはそれについてどう思われますか?」
佐藤オオキ氏:「そうですね。僕の考えでは数年のうちに変わってくるでしょう。3Dプリンターをどうつかってデザインするのかということは、デザインスクールでいうスケッチのやり方を学ぶことと何も違いは無い事だと僕は思っています。」
「私の日本のオフィスnendoでは、インターンシップのプログラムも運営しています。
生徒達には2週間スタジオに通って貰います。私は彼らに実際に取り組んでいる案件に参加してもらい、3Dプリンターをつかってデザインを実際にレンダリング(形を形成する作業)する方法まで教えています。
私は、これが非常に重要な部分だと捉えています。
なぜなら、多くの日本のデザインスクールでは、3Dプリンターを活用したデザインの作り方などほとんど教えないからです。」
佐藤オオキ氏からまなぶこと
早稲田大学時代では、教授や先輩から罵倒されたり、ものを投げつけられながら建築を学んだ佐藤氏
卒業旅行のミラノ・サローネで、デザインの自由に気付いた佐藤氏
苦難の時代に、そのミラノ・サローネにかけたたったひとつの作品
その作品に目がとまったジュリオ・カッペリーニのたったひとことのつぶやき
70個もの試作アイデアを届け続けて、やっとみとめられたたったひとつの作品「Ribbon」
佐藤氏がいま手にしているものを、掴むまでには多くの壁がありました。
これは佐藤氏だけでなく、いまこの記事を読まれているあなたも同じです。
「日々訪れる小さな出来事」
それをどう紡ぎあわせるかで、あなたに訪れるものは変わっていきます。
もしかすると、情熱や想い、夢というものが必要なのかもしれません。
人生はひとつなぎです。
たとえ、いますぐにかなえられそうも無くても、言葉と行動を紡ぎ合わせることで、それらは意味を持ち始めます。
すべての出来ごとには意味があるのです。
感動する記事を見つけましたので紹介!