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重信房子(シゲノブフサコ)元日本赤軍が美人過ぎる!娘メイが語る逃亡秘話とは?逮捕前には公安にも隠れファンが?!

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重信房子という人物をご存知ですか?

元日本赤軍の最高幹部であり、学生時代に学生運動に参加したことがきっかけとなりマルクス主義に感化され激動の半生を過ごした女性です。

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日本を離れパレスチナの地で、自身の中に思い描く正義を信じ戦い、そして逮捕された重信房子。

 

少女時代は勤勉で、本が好きな文学少女だった彼女が、どうして国際指名手配を受けるまでに至ったのか?

 

また、その容姿から重信を追う公安の中にさえ、隠れファンが居たと噂される重信房子。

 

今日は、パレスチナの地で逃亡の最中に生まれた娘重信メイと房子本人について紹介したいと思います。

 

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 重信房子(しげのぶふさこ)元日本赤軍最高指導者のWiki風プロフィール

生年月日:1945(昭和20)年9月28日

出身:東京都世田谷区

家族構成:父:重信末夫、母、そして2人の兄と姉の6人家族 ※房子は次女

学歴:東京都立第一商業高等学校→明治大学文学部(夜間)史学地理学科(日本史)

職歴:キッコーマンで学生時代勤務経験有

 

 

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父、末夫は戦前、民族主義運動に参加していました。

重信房子は、そんな父の影響を強く受けて育ちます。

 

実家は、世田谷で食料品を扱う店を経営していました。

 

お金も暇もない生活の中で、房子はよく父に世田谷の公園に連れてきて貰いました。

その公園には、チューリップがたくさん咲いていて

それを見ながら父はこう言いました。

「こうしてみたら世界が違って見えるよ。」

 

父は、足を開いて、その股の下から覗くように房子に言います。

 

房子は、父の言われる通り股を開いてチューリップを見ると

空の上にたくさんの開いたチューリップが見えて

「うわぁ~。」と歓声を上げながら房子は思います。

 

世界が本当に変わったように思えた・・・

そうして何度もその景色を見たのです。

 

 

 

重信房子は、高校を卒業後明治大学に入学します。

教師を目指すために、OLをしながら夜間の大学に通っていました。

 

1960年代、全国の大学で学園紛争の嵐が吹き荒れていました。

 

1960年 安保闘争

1961年1月 東大安田講堂闘争

1968年から1970年 全共闘紛争

 

おりしも、房子が大学に通っていた時代は、学生運動の盛んな時代でした。

当時は、日本だけではなく、中国、フランス、アメリカ、ドイツ、イタリアなど世界的な学生運動が盛んな時代でした。

 

社会への不信・批判・懐疑的な思いが高まりやすい多感な学生たちが、社会に対して自分たちの思いを時として闘争という形に置き換えてしまった・・・そういう時代背景がありました。

 

そもそも1960年代は、18歳人口が急増していました。

大学進学者も増加し、全国の大学ではそれを受け入れる体制が追い付いていませんでした。

 

劣悪な教育環境、教職員不足などを改善するために、大学は授業料を毎年値上げしていきます。

しかし、講義といえば大教室で、500人から多いときは2000人を詰め込み教員がマイクで行う。

当時、エリート意識の高い大学生たちにとって、こうした学習環境は不満を募るばかりでした。

 

また、世界的、政治的な問題もありました。

 1960年代後半、アメリカとソ連が後押しをしたベトナム戦争が激化していました。

 

第二次世界大戦後に日本とアメリカが交わした条約、日米安全保障条約の期限が1970年でした。

 これが、日米安保に反対する安保闘争へと発展していきます。

 

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房子は、こうした闘争の時代を学生時代に過ごしました。

学生運動では、共産主義を掲げる学生たちも多くいました。

 

アメリカ追従の戦後の日本を憂いた若者たちの中には、社会主義へと傾倒していく者たちもいました。

 

房子は、学生運動を通じ共産主義者同盟に加入します。

遠山美枝子(夜間法学部)〔※のちのあさま山荘事件の被害者〕と出会ったのもこの頃でした。

 

 

この行き詰った感にあふれた世界を変えるには、戦うことが唯一の道を切り開く手段かもしれない・・・

 

房子は思想の研究に没頭しはじめます。

 

そしてその後創立された「共産主義者同盟日本赤軍派」に初期メンバーとして参加することとなるのでした。

 

世界を変えたい・・・

 房子のその想いは、日増しに強くなります。

 

房子達は、一つの思想論に行きつきます。

 

先進国の階級闘争

第三世界の民族解放闘争

労働国家の官僚独裁制

 

上に記された、これらをすべてを同時進行で打破し、世界的な革命を起こすことを目指します。

 

その思想論は、「国際根拠地論(こくさいこんきょちろん)」と名付けられました。

房子達は、そんな壮大な革命論を模索しはじめるのでした。

 

 

 重信房子、奥平剛士とパレスチナでの戦い!

 

 重信房子は、国際根拠地論を推進するため、海外に活動拠点を探しました。

選んだのは、パレスチナ。

 

レバノンのベカー高原を根拠地としてイスラエルと戦うことにしたのです。

 

ここで重信は日本赤軍を正式に設立。

その最高指導者となるのでした。

 

 

パレスチナの地へ旅立つ時、その父は房子にこう言いました。

「やすやすと戻ってくるな。心行くまで頑張ってこい。」

 

その言葉に秘められた父の想いは

「とにかく信念に基づいて、お前の納得のいくやり方で生き抜いて欲しい。」

家族はみんな、まじめなお前の生き方を最後まで信じている・・・

 

その言葉に房子はこんな句を残します。

『祖国発つ 朝にかけたる赤電話 穏やかな父の声きこえる」

 

 

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重信房子は、一緒にパレスチナへと渡った同士の奥平と偽装結婚。

そしてその1年後、日本に残った赤軍派の仲間が、連合赤軍として、あさま山荘で事件を起こします。

 

しかし、アラブの地でこの知らせを聞いた奥平と重信は驚愕しました。

「何故だ!何故だ!?」と仲間の起こした事件に失望します。

奥平は、号泣を押し止めながら、何度も呟きました。

 

真の革命とは、敵を打ち破るために命を捧げることだと思い詰めた奥平は、その3か月後の5月30日にイスラエルのテルアビブにあるロッド空港を襲撃します。

 

パレスチナの人たちの自由のための戦い

 

パレスチナ人たちは涙を流しながら

「勝った!勝った!」とむせび泣き喜ぶ姿を見てこう思いました。

 

「そうか、これが勝利なのか・・・」

 

正義

勝利

革命

 

あまりにも偏った視点でしたが、当時の重信房子は自分が投じている戦いを正義だと信じて疑わなかったのでした。

 

革命こそが世界を変える手段だと信じていた重信房子は、パレスチナ解放人民戦線(PFLP)やそのほかの過激派組織と連携し数々の事件を起こしていきます。 

このとき、重信房子は26歳。

 

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アラブでは、こうした行為は、正義以外の何物でもなかったのでした。

 

重信房子達日本赤軍は、オランダのハーグで大きな事件を起こします。

 

1974(昭和49)年9月13日 フランス当局に収監された日本赤軍の同士の解放と、日系企業の駐在員誘拐、そして身代金30万ドルを要求するため、オランダのフランス大使館を占拠したのでした。

 

実行役は和光晴生と奥平純三、そして西川純。

 

この事件ではオランダの警官2名が重傷。

 

オランダ政府は身代金30万ドルを支払い、フランス政府は山田義昭を釈放。

西川と和光は逃亡先のシリアにて投降しました。

 

奥平純三は現在も国際指名手配中。

 

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重信房子の娘、重信命(シゲノブメイ)が美人?!逃亡中の秘話とは?

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重信房子は、アラブの地でパレスチナ人の男性と結婚しました。

そしてその男性との間に、娘が生まれます。

その子の名前は重信命(メイ)。

 

【重信命の略歴】

生まれた場所はレバノンの首都ベイルートでした。

1973(昭和48)年3月2日生まれ

1997年ベイルートにあるアメリカンユニバーシティを卒業後、大学院に進学

2001年3月5日 日本国籍取得

同年4月3日 はじめて日本の地を踏む

 

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 日本や西欧諸国ではテロリストとして扱われている重信房子。

かの地では、革命家として活動していたが、やはり国際社会からは常に追われる身。

 

母重信房子と娘のメイは、一年の間になんども名前を変え、学校も変え、そして住む場所も当然何度も変えて過ごしていました。

 

重信メイは、当局から身柄を確保されて尋問された時のために、常に母と自分のストーリーを設定して覚えるようにしていました。

 

常に生き残るためのサバイバル。

 

拷問された時も、絶対に口を割らない。

 

最悪の事態に至った場合、プランA、それでもだめな時はプランB・・・というようにあらゆる可能性を想定して生き残ること、お互いを守ることを意識していたそうです。

 

そして、そのプランの中の一つに、「日本で逮捕された時」ということもあったのでした。

 

母重信房子が日本で逮捕された時は、娘メイの出生届を出し、娘の存在を公にする。

そして、弁護士を依頼し、国籍取得のための手続きをとる。

その際、弁護士には「親子で後姿を撮影した写真を渡す」という約束もしていました。

 

その写真を持ってきた弁護士だけは、信用できる。

その判断をするために、そうした細かい取り決めを母と娘の間で交わしていたそうです。

 

 

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重信房子、日本に潜伏~公安当局の捜査によりついに逮捕

重信房子は、日本赤軍としての活動を中東を拠点として水面下で行われていると思われていました。

 

しかし、日本に潜伏している可能性があるとの情報を入手した公安は、重信の足どりを徹底的に洗い出します。

 

そして、日本赤軍の支援者をマークしていた公安は、その支援者の中の一人が、重信房子に似た人物と積極していることを見つけます。

 

その女性には特徴がありました。

タバコの吸い方が重信房子の独特のタバコの吸い方と同じだったのです。

 

しかし、それだけでは逮捕が難しい・・・

 

公安は、決定的な証拠を得るため、重信房子と思われる女性の指紋を入手するために作戦を考えました。

 

そして、その女性が飲んだコーヒーカップから重信自身の指紋が合致したため、逮捕することが決定したのでした。

 

公安は、2000年11月8日 大阪府高槻市にある、高槻京都ホテルに宿泊中の重信房子をついに逮捕。

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現在、重信房子は獄中でこう考えます。

 

正義は一つではないということを学んだ。

アラブの局地的正義

それは普遍的正義ではなかった・・・。

 

ガンを発病した重信房子は現在、八王子医療刑務所で服役中。

 

40年前、学生たちが戦った時代があった。

 

そして、22歳になったばかりの重信房子もそこにいた。

 

若さゆえに、世界を変えることが出来ると信じていた。

 

人が人を虐げることなく、差別のない世界・・・

若かった重信房子は彼女なりに真剣に考えた。

 

彼女には彼女なりの理想があったのかもしれません。

 

しかし、正義というものを、偏った視点で見つめてしまった。

 

現在、逃亡中の奥平純三は、この世界のどこかで何を想い過ごしているのだろうか。

 
筆者からのあとがき 

1960年から1970年、世界中で若者たちが社会に対して自己の表現をした時代でした。

ドイツ、フランスをはじめ多数の国で学生運動が活発になりました。

 

若さゆえに、社会に対して不安になる。

若さゆえに、一つのことにとらわれる。

若さゆえに、理想を追い求める。

若さゆえに、思い余った行動をとる。

 

重信房子は、アラブの局地的正義は普遍的正義ではなかったと晩年になり述懐。

房子の一人娘、重信メイさんは、現在パレスチナに関する情報を講演などを通じて発信されています。

 

重信メイさんは、こういいます。

日本のメディアにはフィルターがかかっている。

とりわけアラブの情報に関しては、西欧のニュースを通じて日本のメディアがさらに手を加えて一般の人々に届く。

 

西側諸国の視点でのフィルター、そして日本のフィルターを通されたニュースや情報は、真実とはかなりかけ離れた情報となってしまうのです。

 

私自身も海外に滞在した時期、同様の事を感じる経験をしました。

また、日本に帰国したのち、日本国内では 限られた情報しかTVやメディアでは発信されていないと感じた記憶があります。

 

例えば、世界中の大都市でデモが起こるような重大な出来事が起こっていても、日本国内ではニュースの片隅にも取り上げられないことがあります。

 

重信房子は、偏った視点で活動家への道を進んだ。

しかし、日本のメディアもまた偏った情報を国民に発信している場合があります。

 

しかし現在は、ネットというものを通じて、リアルな情報を容易に得られる時代となりました。

 

世界中の人々が様々な情報を知る機会に恵まれた現代、自らが真実を見極めることが大事なのです。

 

 

 

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