ESD「内視鏡的粘膜下層剥離術(ないしきょうてきねんまくかそうはくりじゅつ)」の医療技術で第一人者といわれる一人、大圃研(おおはたけん)医師。
彼が所属するNTT東日本関東病院では年間500例を超える手術が行われている。
祖父母から3代続く消化器外科の家に生まれながら、大学卒業後は医局には入らず臨床の第一線に身を置いてきた。
日本で始まったESD、しかし指導してくれる人もいない中、独学と工夫を繰り返し、現在は海外からも注目されています。
今日は、そんな大圃研医師のプロフィール、そして彼が体験した苦悩と、彼が追い求める光について紹介したいと思います。
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大圃研(おおはたけん)医師のwiki風プロフィール
生年月日:1974(昭和49)年
出身:東京→茨城県
出身大学:日本大学医学部
卒業後は、一般総合病院にて消化器内科研修医となり
2007年からNTT東日本関東病院消化器内科医長に就任
現在、日本内科学会認定内科医、東京医科大学付属青山病院消化器内科非常勤講師、東海大学医学部付属東京病院消化器内科非常勤講師、熊本県山鹿中央病院顧問医師など多数兼任
幼少の頃から、祖父から続く医師の家庭に育ち
実家の隣が入院施設も兼ね備えた病院という環境でした。
消化器外科医を営む家に育ったため、家には病院との直通電話があったり、当直の看護師が夜中に家に来たりしていました。
まるで病院の中にいるような生活環境で生活をしていた大圃氏にとって、医師になるというのはごく自然な成り行きでした。
大学時代は、実家のこともあり消化器外科医を目指していた大圃氏ですが、大学6年生のときに実家の病院が、内科のクリニックへと変更します。
病院を継いでも、手術をするような環境ではないな・・・
このまま消化器外科医を志しても、家にもどったときに経験を活かせない。
そう考えた大圃氏は、卒業間際になってから急遽消化器内科に転向しました。
突然の転向で、大学の医局のローテーションに組み込まれなかった大圃氏は、やむを得ず都内の一般総合病院に勤務することとなります。
医学部を卒業した後は、大学の医局に入るというのが当然だった時代、医局に入らない研修医というのは大変珍しかったのです。
一旦内定の決まっていた総合病院からは2週間後に内定の取消しをされます。
しかし、いきなり内定を取り消されても困ると考えた大圃氏は無給の非常勤という条件でなんとか病院に籍を置かせてもらったのでした。
そして研修医という立場で、実に9年近くもの間、給与は月に2回程度の当直勤務医のアルバイトの収入という処遇の中、医療に従事していくのでした。月収が2万円程度だった時代も経験されたそうです。
ですが、大圃氏は当時の事を振り返ってこう仰っています。
「当時はお金のことはあまり気にしてなかった。お金の為に働いているという感覚自体がなかったのです。
周囲の人達からは病院の処遇に対して酷いと言ってくれたりしました。しかし、そんな状況の中、当の本人は内視鏡の仕事に夢中になっていたのです。
研修医という立場は、病院の職員とは違い制約が少なかったのも良かったでした。
制約がない分、自分のところにきた患者さんたちのマネージメントは自分でしていましたし、目の前の患者さんの治療に熱心に取り組んでいくうちに、自分自身の専門性(スペシャリティ)が生み出されてきました。
そして指名で紹介状を頂いたりしていったのです。
何より周囲の人達に恵まれていました。
看護師さん、同僚たちにはとても助けてもらいました。
みんな自分の仕事の範疇を超えた部分まで、なにかと助けて頂いていたのです。」
医局のローテーションから外れて医師となった大圃先生ですが、そんな環境であったからこそ、専門性を培うチャンスに恵まれたのでした。
約9年という内視鏡のスペシャリストとしての実績を積み上げた大圃先生の元には、多くの病院からオファーが来るようになるのは当然のことでした。
大圃医師が37歳の時、NTT東日本病院からオファーが来ます。
すでに日本でESDの第一人者と認められていた彼は、同病院の内視鏡センターの医長として迎えられるのです。
その腕前はこう言われています。
「外科手術をもってしても人工肛門になる・・・。」そんな患者でさえも内視鏡術で身体にメスを入れることなく、ものの数日で患者を社会復帰させる。
まさにESDの最先端医療を実践しているのが大圃医師なのです。
NTT東日本関東病院の案内
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大圃先生の苦悩!患者と家族への思いでついた嘘。医療の現場の真実とは?!
数々の症例、そして沢山の患者さんと向き合い、悩み、苦しみながら、心から患者さんやその家族のためを思い医療に取り組んできた大圃先生の、忘れられないある患者さんのお話を紹介します。
その患者さんは、NTT東日本関東病院の看護師さんのお父さんでした。
患者の娘であるその看護師がこう言います。
「先生、お父さんは強い人ではありません。もし癌が再発したと知ってしまったら、きっと精神的に立ち直れない。だから絶対にお父さんには本当の事は言わないでください。」
その時、患者さんは60歳手前。大腸癌を患い手術をした後に、再発してしまったのでした。
そして、癌はすでに他の臓器にまで転移しており、その段階では手術をしても助からない状況になってしまっていたのでした。
大圃先生は娘さんの気持ちをくみ取り、父親である患者さんには真実を伝えることはしませんでした。
今では癌告知がずいぶん受け入れられるようになりましたが、当時はそうではありませんでした。
胃がんの患者さんには、胃潰瘍。大腸がんの患者さんには「ポリープ」、肝臓がんの患者さんには「胆石」と伝えるのが常識とさえ言われていたのです。
大圃先生は、「念のために抗がん剤をやっておきましょうね」と言い治療を続けていたのでした。
しかし、日を追うごとに進行していく癌。
CT画像を見ると、医者でなくても気付いてしまうのではないかと思えるくらい癌細胞が大きくなっていく・・・
腫瘍マーカーの数値が上がる。
「数値があがったからといって、悪くなっていないこともあるんです」と嘘を言う。
患者さんを安心させるために、過去のCT画像を見せて
「腫瘍が少しずつ縮小していってますね」と説明する。
心の中で「検査の日付にどうか気付かないでくれ・・・」と祈りながら。
しかし、症状はどんどん進行する。
嘘の説明がどんどん苦しくなっていく・・・
「いまさら嘘だとも言えない・・・。もう後戻りはできない・・・。」
患者さんと顔を合わすことでさえ辛くなってきたある日、大圃先生にその患者さんがさらっとこんな言葉を投げかけます。
「先生、実際私はあとどれくらい生きられますか?」
返す言葉が見つからない大圃先生。
「あぁ・・・この人はすべて知っていたんだ。ずっと騙されたフリをしてくれていたんだ・・・」
その患者さんは、それ以降、自分の検査結果を聞くことはありませんでした。
そして、その1年後にお亡くなりになられます。
その患者さんが大圃医師に、亡くなる前に伝えた言葉があります。
「うちの娘が、診てもらうなら先生が絶対良いと言いました。だから僕は先生がいいんです。」
大圃医師は、その時に感じた想いをこう話されています。
「その患者さんは、娘さんの優しさからくる気持ちを知り、最後まで僕たちの嘘につきあってやろうと心に決めておられたように思えてなりません。優しい娘さんのために、父としての最後の仕事だったようにも思えるのです。」
「真実を伝える事よりも、苦しい事なのかもしれない。」
助かる可能性の低い患者さんと向き合うとき、数々の嘘をつかなければならなかった大圃医師。
彼が内視鏡検査や内視鏡手術の専門医を目指すようになったのは、早期治療や早期発見の技術を進化させることで、少しでも助からない癌患者の数を減らしたいから。
そんな彼の内視鏡治療で助けられた患者の数は延べ2500人を超えると言われています。
我流で進化させて来た内視鏡術を、後継者達へ
ESDが日本で開発されたのは1998年。
大圃医師がやり始めたのは2000年からでした。
当時はESDの経験がある医師は極めて少なく、また革新的すぎるため危険な治療とも言われていました。
しかし、周囲の声に惑わされることなく粛々と地道に治療を続けていった結果、全国から多くの患者さんが紹介されることとなり今に至ります。
一人で取り組むのでは、限界がある。
そう感じた彼はトレーニングセンターで後継者育成にも力を注いでいます。
他の病院では、若手は雑用ばかりでなかなか経験を積ませて貰えない。
しかし、こうした技術的なことは若いうちから経験させるほうが絶対良い。
僕一人が頑張っても数は知れている。
しかし一生懸命に人を育てれば、特殊なケース以外なら人が増えた分だけ助かる命も増える。
だから僕は出し惜しみをせずに、何でも教えるのです。
教える側になって分かったことがあります。
僕は決して自分のことを要領の良い切れ者だと思っていません。
地道に粛々と頑張るタイプです。
だから僕はズルをせず、地道に頑張るタイプを可愛がります。
そういうタイプは大抵どんくさい。
だから叱る機会も多い。
ですが、僕の中での評価基準は高い。
内視鏡術は、ある程度経験を積めば、そこそこは出来るようになります。
でも、すぐに慣れてしまい飽きが出てきます。
そうなると、その人の技術も頭打ちになります。
でも必死になり粛々と努力していれば、次のステージが見えてきます。
突き詰めていけば、どんな分野でも面白さが出てくると思います。
だから僕もまだ終点が見えないのです。