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葛西紀明のプロフや経歴!妹さんの病気や母との苦悩を糧にレジェンドに!

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ノルウェー、カナダ、ポーランド、ドイツ、スロベニア、アメリカ・・・ノルディックスキーが盛んなすべての国のサポーター達が、ある日本人選手のことを口を揃えてこう称します。それは・・・

 

『レジェンド』

 

その日本人選手の名前は、ノルディックスキージャンプ男子 ラージヒル日本代表

「葛西紀明」

 

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今日は、彼が栄光を手にするまでの壮絶な過去

それを乗り越えるために葛西選手を支えてきた母や妹

そしてレジェンドとして40歳を超えて現役で活躍する彼の半生について書こうと思います。

 

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葛西紀明選手のプロフと経歴 

葛西選手が生まれたのは、1972年6月6日 札幌オリンピックが開催された年に、北海道下川町にて産声をあげます。

下川町は北海道の真ん中より少し東北より

町のほとんどが森で、人口は4000人に満たない小さな町です。

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この小さな町から、多くの名選手が誕生しました。

それは、小学校から高校まで一貫してスキージャンプを練習できる環境があることが理由の一つにあります。

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下川町にあるスキージャンプ台

嶋宏大選手、岡部選手、伊東大貴選手、もちろん葛西紀明選手も

みんなこのジャンプ台で子供のころから練習をしてきたのです。

 

 葛西選手がジャンプを始めたのは、1981年小学校3年生の時のこと

もともとジャンプをしていた友達に誘われたことが始まりでした。

 

元来負けず嫌いな少年だった葛西選手

友達よりも跳んで見せてやりたい!

 

いきなり誘ってきた友達の記録を抜くジャンプを跳びます。

 

のちに世界中のジャンパーから尊敬を集めるレジェンド葛西紀明選手

生まれて初めてのジャンプでした。

 

人に勝つ喜び、快感

 

少年時代の葛西選手に芽生えた勝負する興奮

彼がそれを知った瞬間でした。

 

そして、そのジャンプを見て少年ジャンプチームのコーチが葛西選手の自宅を訪ねてきます。

 

「息子さんにジャンプをやらせませんか?」

 

このとき、生まれ持って天から授かったその才能は、すでに輝きを見せていたのでした。

 

しかし、葛西選手の家には問題がありました。

 

ジャンプ競技は、お金がかかるスポーツです。

葛西選手の家は、子供にジャンプをさせてあげるほどの余裕がありませんでした。

 

 

葛西選手の中で、人と競い合う喜びを初めて感じさせてくれたジャンプとの出会い。

 

そして、家の事情。

 

子供心に、悲しい気持ちになり、泣く泣く諦めなくてはいけなかった葛西選手。

 

しかし、一旦火がついた想いは、そう簡単には消すことが出来ません。

 

自分が跳ぶことはできなくても、友達が跳ぶのを見にいったりしているうちに、たまに跳ばせてもらったり・・・

 

ますますジャンプをやりたい気持ちは募る一方

 

そんな少年時代の葛西選手に、ある出来事が起こります。

 

それは彼の住んでいた北海道上川郡下川町で開催された町民スキー大会でした。

 

親に言ったら怒られる。

葛西選手は、親に内緒で大会に出場しました。

 

そして結果は、まさかの優勝。

 

手にした人生初めての金メダル

それを手に取り、じっと見つめているうちに、心の奥底からどうしようもなく抑えきれない想いが湧きあがってきました。

 

気がつくと、家に帰って金メダルを手に、「どうしてもジャンプがやりたい」と泣いて親に頼みこんでいました。

 

その姿を見た母は、これほどジャンプをやりたいと言っている息子にそれ以上ダメだとは言えず、首を縦に振るのでした。

 

しかし、病気で父が働けない事情があり、生活が苦しい状況にあった葛西家

必要なものは全部先輩のお下がりを使わせてもらうことでなんとかジャンプを始めることが出来たのでした。

 

 当時の葛西家は、米も買えないぐらい苦しい事情がありました。

 

葛西選手のお母さんが朝から夜まで働き、葛西選手とお姉さん、そして妹さんの子供3人を育てるために必死の毎日でした。

 

家には電話もなければ、買い物もスーパーでツケで買わせて貰い

借金もたくさんしていました。

 

そんな生活の中で、一度はダメといったジャンプ競技

 

それでも、息子の真剣な涙と眼差しから目をそむけることが出来なかったお母さん。

 

彼の母の愛情がなければ、レジェンド葛西紀明選手はこの世に誕生していなかったかもしれません。

 

下川町ジャンプ少年団練習風景映像

 

そんな事情の中で、始めさせてもらったジャンプ

葛西少年の心に、ひとつの想いが芽生えます。

 

そして、母との約束

「いつかオリンピックで金メダルを取り、家を買ってお母さんにプレゼントする」

少年の心に湧いた母への感謝の気持ちでした。

 

『絶対に勝たなければならない』

 

それからの葛西選手は無我夢中で練習に励みます。

 

つけくわえて言うと、葛西少年をスキージャンプの競技に導いた友達とは、1998年長野オリンピック団体で日の丸飛行隊として金メダルを獲得した岡部孝信(おかべたかのぶ)選手。

そして1984年サラエボオリンピック日本代表に選ばれる嶋宏大(しまひろお)選手も、同郷でスキージャンプをはじめてオリンピックを目指した仲間なのです。

 

 

さらに、ある出来事が、彼の想いをさらに強くさせることになります。

 

それは、中学3年の時のこと

 札幌の大倉山で開催された宮様大会

 

その大会でテストジャンパーを務めることとなった葛西選手

中学生がテストジャンパーになること自体が異例

 

その大会で、さらに周囲を驚かす事が起こります。

 

その大会で跳ぶジャンプ台は、それまで葛西選手が跳んできたジュニアクラスと違い正規のジャンプ台。

葛西選手は、正規の位置からのジャンプは、この時が初めてでした。

 

上から下を見下ろした景色もまるで違います。

 

思わず足がすくみそうになるくらい怖いと感じた葛西選手でした。

「怪我だけはしないように気をつけて跳ぼう」

 

無事に跳ぶ。

 

それだけを意識して、跳んだジャンプ

 

葛西選手の着地点は、その大会で優勝した選手よりも記録を上回っていたのでした。

 新聞には「影の優勝者」などとして掲載され大きな話題となりました。

 

中学3年の葛西少年にとって、

遥か遠くに思えたオリンピック出場と金メダルを

現実の目標としてハッキリ意識したのはこの時からでした。

 

そして、あまりの強さに中学・高校時代は敵なしでした。

 

葛西選手の大会記録を紹介

1988年スキージャンプワールドカップ 初出場 

16歳6カ月(最年少記録)東海大四高校1年生時 

 

1989年1月 第28回STVカップ

国際スキージャンプ競技大会にて初優勝

1989年ノルディックスキー世界選手権 日本人最年少出場 16歳8カ月

1992年 19歳でアルベールビルオリンピックに出場(初の五輪出場)

1992年 チェコスロバキアで開催のW杯ハラホフ大会にて日本人最年少優勝

1994年 21歳でリレハンメルオリンピック 団体銀メダル

1998年 25歳で長野オリンピック 個人7位

2002年 29歳ソルトレークシティーオリンピック 出場

2006年 33歳トリノオリンピック 団体6位入賞

2010年 37歳バンクーバーオリンピック 個人8位入賞 団体5位入賞

 

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 葛西選手苦悩の過去 妹さんの病気、そして母の死

葛西選手の才能と記録は、少年期から周囲を驚かせていました。

母に金メダルを持って帰る。

そのために、ジャンプの練習に明け暮れた日々

 

しかし、そのことで葛西選手に不運なことが起こります。

 

高校を卒業して1991年に葛西選手は、地崎工業に入社します。

ジャンプのスタイルがV字スタイルに移りつつある時期、葛西選手もフォームの改造に苦心していました。

 

日本ナショナルチームも、V字ジャンプスタイルを正式に採用しましたが、しばらくは不振続きでした。

 

しかし、持ち前の努力でV字ジャンプをものにすると、スキーフライング世界選手権で金メダルを獲得。

 

19歳9カ月ワールドカップ日本人最年少優勝記録となります。

 

葛西選手が、カミカゼ・カサイと呼ばれる理由となったのは、彼のジャンプスタイルにあります。

 

スキージャンプは、足先を広げVの形で滑空するのですが、

葛西選手の場合スキー板よりも身体が前にいくかのような深い前傾姿勢が出来ること

そのため、風に乗った時の滑空時間が長く、持ち前の運動能力で空中のコントロールが抜群です。

 

その思い切った跳び方により、世界のジャンパーからはカミカゼ・カサイと称されるのです。

 

まさに世界のジャンパーとして着々と進化していった彼によくない知らせが届きます。

 

子供のころから、貧乏な家でお互い支えあってきた愛する家族

その一人、妹さんの病気の知らせでした。

 

1994年リレハンメルオリンピックの前年の年に発症。

病名は再生不良性貧血

ドナーを探したり、治療を試みたりしました。

この時、葛西選手はリレハンメル大会で妹のために「金メダル」を取ると約束します。

結果は銀メダルでした。

妹さんは、病気の身体をおして、千歳空港まで葛西選手を迎えにきます。

そして、葛西選手は妹さんに一番最初に銀メダルを触らせてあげるために

その時まで誰にも触れせなかったのでした。

 

「ありがとう。次は金だよ」

その言葉に逆に励まされた葛西選手

98年の長野オリンピックでは絶対金メダルを取ることを心に誓います。

 

妹さんは、一度は臍帯血治療で克服

2003年には妹さん結婚

しかしその10年後、2013年に再発

葛西選手は大会に出るたびに、「妹のために」と言い続けました。

 

そうして妹さんを喜ばせたいという願いとともに、葛西選手の心の中にずっと持ち続けているもう一つの願い

 

まだ小学生の時に葛西選手が交わした母との約束

 

『金メダルを取っておかあさんに家をプレゼントするね』

 

苦しい家庭事情のなか、スキージャンプをさせてもらった小学生の時に誓った約束は、まだ達成できていませんでした。

しかし葛西選手に悲しい事件がおこります。

 

1994年の11月

ある大会で転倒したことで鎖骨を骨折

しばらくジャンプができない状態が続き、翌年の5月にようやく完治

 

半年のブランクを埋めるために葛西選手は通常の3倍もの猛練習を毎日しました。

 

しかし、それが災いしたのか、その年の冬

ジャンプの着地で今度は足を骨折してしまいます。

 

悪いことは続きます。

不運続きで記録から遠ざかっていた葛西選手

今度は実家が放火に遭います。

 

その時、家にいたお母さんが全身やけどで病院に担ぎ込まれたのです。

火傷の状態は非常に悪く、全身の70%にも及んでいました。

皮膚だけではなく、火事の炎は、お母さんの肺や気管も焼いていました。

皮膚移植を繰り返すなど懸命の治療が試みられました。

 

のちに入院中にお母さんが書いた日記を読み、涙が止まらなかった葛西選手。

入院中、お母さんは手も握れないぐらい状態は酷かったのです。

痛みが消えることはなく、常に死の恐怖を闘っていたお母さん。

 

しかし、そんな苦しい闘病の中でも、お母さんはいつも葛西選手の事を気にかけていました。

とくに、怪我が続き不調だった葛西選手のことを心配して励ましの手紙を送ってくれていたのです。

 

その手紙に書かれていた言葉

 

『いまこの時を頑張れ。

絶対におまえは世界一になれる。

お前がどん底から這い上がってくるのを楽しみに待っているよ。』

 

葛西選手は、いまでも大事な大会の前には、この手紙を読み返します。

そして見るたびにものすごく大きな力を貰えるそうです。

 

しかし、残念なことに

1997年5月、葛西選手のお母様は48歳の若さで、お亡くなりになられるのです。

 

左から 妹久美子さん、母幸子さん、姉紀子さん

f:id:dontaka:20160208021417p:plain

出店:http://m.sponichi.co.jp/sports/news/

 

カミカゼ・カサイからレジェンド・カサイへ

世界一、フォームが美しいといわれる葛西選手のジャンプ

スキージャンプの選手としてのピークは若く、決して長く活躍できる競技ではないと言われていました。

 

しかし、葛西選手は40歳を超えてから、さらに飛躍していきます。

 

2014年 41歳

ワールドカップバートミッテンドルフ(オーストリア)大会 優勝

ワールドカップ最年長優勝記録

史上最年長41歳と219日≪ギネス記録≫

 

ソチオリンピック 個人銀メダル 団体銅メダル

日本ジャンプ勢の団体のオリンピックメダル獲得は長野以来16年ぶり

個人ではリレハンメル以来20年ぶりのメダル獲得を達成する

冬季オリンピック7連続出場記録≪ギネス記録≫

 

ワールドカップルカ(フィンランド)大会 優勝

ワールドカップ最年長メダリスト記録更新

 史上最年長優勝42歳と176日≪ギネス記録≫

 

 ソチオリンピックで銀メダルを取った葛西選手のジャンプをご覧ください

 

 

 

 現在、43歳の葛西紀明選手

今なお現役、そして第一線級の活躍をするレジェンド

 

33年前に誓った母との約束

オリンピックで金メダルをとって家をプレゼントする

 

まだその約束は終わっていない

 

葛西選手は、母との約束を遂げるまで

跳び続けるつもりでいるのか

 

数々の悲劇を乗り越えて

跳び続けるその雄姿

 

いま

世界中のジャンパーで葛西選手のことを尊敬しない人はいない

 

すべてのジャンパーが彼に憧れ、尊敬し、希望を与えてもらっている

 

そして彼のことをこう呼ぶのです。

 

「レジェンド」と・・・

 

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