こんにちは
今日はSWITCH達人達(たち)にも取り上げられた、イタリアのムラノ島に工房を持つただ一人の日本人土田康彦氏と、今日の土田氏のライフスタイルを作るきっかけになったフランコ・スキヤボン氏、そして土田氏の奥様(フランコ・スキヤボン氏の娘)について書こうと思います。
日本で生まれ、かつてシェフを目指した土田氏の中にある秘めた想いと、イタリアでの出会い、そして現在の活動。これらを皆様にも知って頂けたらと思います。
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土田康彦氏のプロフ・経歴
出典:http://knam.jp/gallery/2014/2684/
本名:土田康彦(つちだやすひこ)
生年月日:1969(昭和44)年7月30日生まれ
1969年に大阪で生まれて高校を卒業後は、有名な調理師専門学校の辻調理師専門学校に入学
1988年 辻調専門学校を卒業後、日本を離れてフランス パリに行きます。
パリで当初はシェフへの道を目指していました。
1992年イタリア ベニスに住まいを変えます。
1995年イタリア ムラーノ島のガラス工房にてベネチアングラスの創作活動を開始
1996年スキヤヴォン・ガラス社のディレクターに昇格
数多くの作品を世に出し、それらは世界中、そして日本でも高い評価を得ています。
そして、これまでに日本でも、数多くのグラス展が開催されています。
2006年 東京青山 土田康彦ヴェネチアン・グラス展
2013年 土田康彦新シリーズ発表記念個展 「運命の交差点」
出典:http://whitestonegallery.co.jp/japanese/events/20130608tsuchida/
2014年 土田康彦展 ヴェネチアングラス ~伝統と革新の狭間に~
土田康彦氏が、こうしてヴェネチアン・グラスの本場ムラーノ島だけでなく、世界的にも認められるガラス職人と至るまでの軌跡を紹介したいと思います。
世界に飛び出す土田康彦氏
土田氏は大阪で生まれて高校を卒業して辻調理師専門学校(以下 辻調に略)に入学しました。
元々アートに関心はあったようですが、なかなか芸術家では食べて行けない。
しかし、普通のサラリーマンになることは望んでいない。
自己表現が出来て、手に技術を身につけれる仕事・・・
当時の土田氏は料理人になることを一度志すのです。
辻調を卒業して、日航ホテルのパリに就職。
(ちなみに筆者の同級生も辻調から日航ホテルに就職して現在料理長をしています。)
しばらくして、ヨーロッパの有名なお店「ハリーズ・バー」に拠点を移します。
ハリーズ・バーを知らない人の為に解説をします。
ハリーズ・バーとは?
出典:http://www.harrysbarvenezia.com/
1931(昭和6)年5月13日にイタリア・ヴェニスで生まれたレストラン・バーです。
創業者はジョゼッペ・チプリアーニ。
彼は王侯貴族や有名人と親交が深い人物でした。
彼はイタリア料理で有名なカルパッチョの生みの親です。
ちなみに料理の名前は、カルパッチョを考案した際にちょうど画家ヴィットーレ・カルパッチョの回顧展が開かれていたことから命名しました。
ハリーズ・バーには、かの有名な文豪ヘミングウェイ、俳優オーソン・ウェルズ、その他多くの芸術家や俳優、名高い大富豪達、さらにはエリザベス女王までもが訪れた伝説のレストランバーです。
1992年、土田氏はそのハリーズ・バーで働き始めます。
創業者ジョゼッペ・チプリアーニ氏の跡を継いだアリーゴ・チプリアーニ氏は、当時の土田康彦という青年を見て、採用することにしました。
それは、土田氏が目の奥に持つ強い意志を見抜いたからです。
25歳でジョゼッペ・チプリアーニ氏の跡を継いだアリーゴ・チプリアーニ氏
出典:http://www.arukikata.co.jp/webmag/2004/0402/sp/040200sp_02_01.html
当時、土田氏はフランスパリから数回の電話をチプリアーニ氏にした後、確約もないままトランクひとつでイタリアヴェニスのチプリアーニ氏のもとに面接に訪れたそうです。
彼の大胆な行動の裏には、彼自身がもつ強い意志を秘めていたのでしょう。
それを一瞬で見抜いたチプリアーニ氏は流石としかいいようがありません。
やはり、父ジョゼッペ・チプリアーニ氏が多くの著名人と交友を持っていたのは、彼らが人を見る力をもっていたからかもしれません。
土田氏はこうしてハリーズ・バーで働くことになりました。
当時の彼の住まいの隣は美術館でした。
イタリアという国
ベニスの町
美術館
こんな環境に身をおいて、土田氏は自分の中にあるかつて心に持っていた「芸術家を目指したい」といった想いが抑えられるはずもありません。
「やっぱり芸術家として生きて行きたい」
心の内側から、自分自身の声が聞こえてくるのです。
そうして、彼は帰宅してから毎日絵を書いていました。
あるとき、チプリアーニ氏は土田氏の書いた数々の絵を目にします。
チプリアーニ氏は、その時に見抜きます。
土田康彦という日本から来た青年は、本当は芸術家になりたい気持ちを持ちながら今は料理人として生きている。
たしかに料理と言うのも創作であり自己表現であることからアートかもしれない。
しかし、彼の本心は芸術家になりたいんだ。
その時、チプリアーニ氏は土田氏にこう言います。
「君は芸術家だ」
この一言が、これまで心の中でくすぶり続けていた土田氏の背中を押す事になるのです。
彼はこの素敵なハリーズ・バーの2代目オーナーのもとで働きながら、4年間かたわらで絵を描き、個展を行っていました。
1995年 土田氏 ヴェニスからムラーノ島へ
現在の土田氏の奥様はイタリア人です。
彼女は、ムラノ島のとあるガラス工房のひとり娘でした。
彼女は日本に留学の経験もあり、日本からきた芸術家を目指す土田氏と心が通うのも自然なことです。
土田氏はムラノ島へ拠点を移してヴェネティアングラスの制作を始めます。
ムラノ島には、じつは深い歴史があります。
この説明無しでは、ヴェネティアン・グラスの話も始まりません。
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ムラーノ島とヴェネティアン・グラスの歴史
ヴェネティアン・グラスの発祥は13世紀
またヴェニスがヴェネツィア共和国という国だった頃から存在します。
起源は、それよりもずっと古く7世紀や8世紀の遺跡からもガラス工房跡が発見されています。
ヴェネチア共和国はガラス制作においては優れた技術を持っていたが、自国で原料を採掘することは出来ませんでした。
そのため、原料国との協定を結び生産を行っていました。
しかし、莫大な利益を生むヴェネティアン・グラスの技術が国外に流出することを恐れた国は、優れたガラス職人達を強制的に移住させることにしました。
それが現在のムラーノ島のはじまりです。
現在のムラーノ島のガラス工房の映像
スキヤヴォン・ガラス社と土田康彦氏の関係
小さな島に、多くのガラス工房がひしめきあい、お互いに切磋琢磨をしてきた歴史があります。
その中の工房のオーナー フランコ・スキヤヴォン氏
土田氏は、そのフランコ・スキヤヴォン氏の一人娘が現在の奥様なのです。
しかし、ムラーノ島でスキヤヴォン・ガラス社といえば50以上の工房がひしめくムラーノ島の中でも名門とよばれる工房です。
フランコ・スキヤヴォンギャラリー
住所: Fondamenta dei Vetrai, 15, 30141 Venezia, イタリア
電話:+39 041 736594
伝統と格式のあるヴェネティアン・グラスの世界で、日本から来た青年が簡単に受け入れられるわけはありません。
それがたとえ、可愛い一人娘の旦那だとしても。
しかし、土田氏は完全によそ者のスタートから、やがて周囲も認めざるを得ない作品を作り出すのです。
そして、その才能と努力が認められ1996年にスキヤヴォン・ガラス社のアートディレクターに就任します。
そして、日本の竹から発想した作品『バンブー・コレクション』を発表します。
土田康彦氏の作品の数々
http://www.kgs-tokyo.jp/interview/2006/060315a/060315a.htm
土田康彦氏が開催した個展 銀座のホワイトストーンギャラリーで出品した作品の数々
土田氏は2013年に「運命の交差点」という名称の個展を開きました。
場所は銀座のホワイトストーンギャラリー
その際の作品が目を見張るものばかりですので、一部を紹介したいと思います。
出典:http://whitestonegallery.co.jp/japanese/events/20130608tsuchida/
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ベネティアン・グラス工房とムラーノ島
一度は訪れて見たいですね。
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