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ミャンマーバガン遺跡の歴史の秘密!行き方、ツアーも紹介!

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ミャンマーにバガン遺跡群とよばれる場所があります。

今日は、千年も前に栄えた王朝の歴史と現存するパゴダの遺跡群について書こうと思います。

 

バガン遺跡の歴史

バガン遺跡は、ミャンマー(ビルマ)最初の統一王朝の都の跡です。

時代は西暦1000年代~1200年代。

ちょうど日本では、平安後期から鎌倉中期あたりになりますかね。

紫式部や藤原道長の平安から源氏と平家の鎌倉時代と同じ時期にビルマで栄えた仏教を土台とした王朝文明が、このバガンの地で繁栄をしていました。

 

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その時の王はPyinbya王と言います。

 

当時のビルマ王朝は、代が変わると都も移動したため、Pyinbya王の次の時代には都ではなくなるのですが、仏教が盛んになるにつれバガンの地は仏教の国際都市として成長を始めるのです。

 

スリランカやインド、カンボジアなどの国の仏教僧達がバガンの地で仏教の研究が盛んに行わる宗教都市となりますが、モンゴルとこじれたために王朝は滅ぼされてしまいます。

 

そして、政治的な要衝としてのバガンの影響は無くなっていくのです。

 

しかし、仏教研究の土地としては、その後も発展していきます。

当時は、1万以上の寺院や仏塔、僧院が建築されていたそうですが、現在では2000とも3000とも言われる数の建造物が存在しています。

 

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バガンという名前は、当時の現地の言葉で「ビュー族の集落」という意味です。

 

バガン王朝で最も有名な王は、アノーヤター王と言われています。

アノーヤター王の時代に、バガン王朝は周辺の部族や国を征服し領土を拡大しました。

 

当時の東南アジアの国々と比較しても、見劣りしないほどの国だったバガン王朝ですが、同時に仏教にも力をいれ、国教として上座部仏教を取り入れました。

「三蔵」と言われる「律蔵・経蔵・論蔵」の経典や書物も集められたのです。

 

後に仏教の国際都市として発展したのは、これらが要因と考えられています。

 

アノータヤー王は、黄金に輝く「祝福された金の河岸」という寺院を建造しました。

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ここには、仏陀の歯と骨が納められています。

 

他にもピラミッド型のバゴダや、迷路のようなものなど、多種多様な建造物が集まる場所でもあります。

 

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バガン遺跡の動画

 

 

日本からミャンマー バガン遺跡の行き方

 

日本からはミャンマーのヤンゴンへの便が就航しています。

成田→ヤンゴン→バガンというルートがありますね。

 

アジアの格安ツアーのおすすめ情報 

 

寒い冬に暖かいミャンマーへの旅行は、良いかもしれませんね。

 

日本からミャンマーへは直行便が出ています。

時間は約7時間。

 

まずはミャンマーのヤンゴンから現地に入り

ヤンゴンからバガンまでは、ミャンマーの国内線を使用するルートです。

国内線の所要時間は約1時間。

 

ミャンマーは入国の際にはビザが必要ですので、旅行代理店にお問い合わせをしてください。

 

ヤンゴンからバガンへの別ルートとして、夜行バスもあります。

国内線は約120ドルほどかかりますが、夜行バスだと20ドル程度。

時間にゆとりのある方はバスでミャンマーの国を味わうのも良いですね。

 

宿泊は、ヤンゴンでホテルをとると良いです。

バガン周辺には、あまり良いホテルの情報は出てきません。

 

ヤンゴンは近代的な都市ですし、民主化の波で治安が以前よりずっと良くなったミャンマーと、歴史と自然がまじった荘厳なバガンを楽しんでみては如何でしょうか。

 

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